老兵の半生(骨格編の終わり)

平成20年、私67歳。創業37年を向かえ、三月の誕生日
に、社員一同の前で三年後の70歳で、社長職を辞して
創業40周年を期に、長男に社長職を与えると
宣言いたしました。
設計部門を独立させ、別会社にして次男に社長職を与え
社員8名を本体から、移籍させ100パーセント子会社として
設計部門の充実化を図り、装置部門の売上げ増と
本格的な装置メーカーとして、全国に羽ばたきたい
思いを新たにしたのでした。
私の社長としての最後の役目其れが、思いもよらなかった
アメリカからの、世界同時不況の発信による株価の急激な
ダウンそれに伴う、円高による輸出不振、何度となく
繰り返されてきた不況の波が、再び繰り
返されようとしている。
しかし今までとはちょっと違って、巷では100年に一度の
不況だとささやかれているが、注意深く分析しながら
乗り越えなければ成らない。
ここを乗り越えるのが、私の最後の務めだと思っている
若い次世代の経営者たちにも、かっこつけずに泥臭く
生き延びろと、言い続けています。
「天は自らたすけるものを助すく」
今製造業にとって、最大の試練を迎えることとなると思うが
年明けの三月まで、生き残ることが出来れば、大丈夫
息子にもそう言い聞かせている。
企業経営とは、何年行っても常に試練が、訪れる。
だからこそ、生きている実感を味わうことが
出来るのでなかろうか。
70に近くなって、どれもうひと頑張り、若さを保つ
材料にしようと開きなおっている昨今であります。
一っ走りの半生の骨格でした。
少し休んで、別の人生編を書こうかと思っています。

毎日読ませていただいております

 社長の半生を記したブログを毎日読ませていただいております。
 吉田社長が若い時に色んな経験をされ、都度、人との出会い、別離があり、そして、自分の歩んでいく道を見つけられ、紆余曲折を乗り越えて現在に至っておられるのが実に描写でした。
 今後は、特にアメリカに頼った日本企業の経営姿勢、あるいは政府の方向付けに対して、軌道を修正していくにはいい機会ではないでしょうか。
 でも、色んな難局を乗り越えてこられた現在の貴社には、それを乗り越えていけるだけの素晴らしい実績と技術力それと経験があります。
 不況こそビジネスチャンスと捉えお互いに頑張っていきたいですね。
2008.10.30:kuro:[編集/削除]

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