老兵の半生(散って行った戦友たち)

1978年~1988年の10年間
主に流れものの部品加工で、機械加工の基礎作りと
社員の技術アップと、経営の安定化を目指し
がむしゃらに、進んできました。
仕事を始めてから、17年
ふと気づいたら、私も47歳。その間様々な苦悩や
苦痛、人のやさしさや、人の無情さを味わってきました
その中でもいくつか、忘れられない悲しい事例を、
いくつか見てまいりました。
今騒がれている株価の値下がりや、貸し渋り、貸しはがし
等々の激しい経済状況か゛何度かありそのたびに、何人かの
友人たちが、消えていきました。
他の企業に吸収されても、名をすて社員を救った友人たちは
それなりに、頑張ってきたと思います。
しかしながら、玉砕して自ら命を絶った友人、全てを
投げ出して、逃亡した友人その度に、後始末の一端に
関わらければ成らなかった時期、そのつど経営の難しさと
気力の大切さ、企業経営の本質とは自問自答の連続でした。
事が起きるたび、家族、親族ね友人に、負荷をかけなければ
維持できない企業経営なんて、空しい。
いかに小企業といえども、甘えのない組織作りと、本当に
社会から必要とされる企業に育ってこそ、生き延びる
ことが出来るという結論に達したのでした。
それには、トップの生き方が全てを物語っているのでは
ないか。私にとってこの10年間大きな試練の
連続だったのです。
昭和63年12月昭和の終わる、一ヶ月前念願の本格的な
機械工場建設をなしえて、自宅より一キロほど離れた現在の
場所に引越ししました。
いよいよ創立時の私の夢であった、製品開発と装置産業への
第一歩を歩みだすことになるのです。
自分の仕事の、合間に続けてきた母校へのボランティア
運動の基盤作りも、充実したい。
それには、一層の自分の資質を高めて生きたい
なかなか難しいことですが。昭和の終わりの足音が
聞こえてきてるのも、知らずにそう思ったものでした。
・・つづく・・

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