老兵の半生(高校生になる)

1961年、私は地元の父親の友達の所で、旋盤工の
見習いとして、働いていました。
その職場は、初代社長と私の二人だけの会社で、
工場は鉄工所の一部を間借りして、仕事をしておりました。
(その会社は、当時機械工場では当地区における、先駆者的
存在で、現在三代目が社長をしており、社員も40名を超え
意欲的に、安定した経営を続けております。)
家庭的には、すぐ下の妹は高校三年生、末っ子の妹は
中学三年生で、毎日夜遅くまで、高校受験へ向けての
受験勉強をやっておりました。
ある晩、私はいつもの通り遊びほうけて、遅く家
帰ってくると、「兄ちゃん来年一緒に高校に行こう」
当時長井工業高校が新しく1962年度から、開校することに
成っており、従来からある長井北高等学校が、閉校になる
事が、決まっておりました。新校舎を建設する間、北校の
一部を間借りして、開校するということでした。
「いまさら高校なんて」そう妹に答えてみたものの、
谷中初音町時代の、初恋の相手のあのセーラー服の高校生
の姿を、思い起こしておりました。
もう大学を卒業している頃だと思うのですが。
その後も、妹たちから「まだ遅くは無いよ、解らない科目
は、教えてあげるから」
私は1962年21歳の春、受験を受けたのでした。勿論定時制
定時制課程で、昼の仕事を続けながら、夜は学校と言う
厳しい4年間の生活に入ったのでした。
同級生は、年齢の差がばらばらで、4~7才まであり
私は当然一番年上でした。
この高校に入学した事が、後々私の人生に対する考え方を
大きく変えていくことに成るのです。
・・つづく・・

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