老兵の半生(疎開)

母が生まれた実家は、山形県の鮎貝村(現白鷹町)にあり
駅から、徒歩で三時間位の所でした。
迎えに来た、10歳年上の従兄弟のリヤカーに荷物と共に
乗せられ二つの山を越え、付いたところが
山と山に囲まれた、小さな集落でした。
平地は少なく、段々畑と谷底のわずかな平地の田んぼ
雪の多い典型的な東北地方の、寒村でした。
林業と山菜、家族がようやく食べるだけの米、冬季に
行う猟、そんな生活のため、相続者以外、多くの人たちは
分校の小学校を卒業すると、都会地等に、移籍して自立して
生活しなければ、家族が成り立たない環境にありました。
(現在は集団移動で人は住んでおりません)
母の実家では、玄関の左手に馬小屋がありまして、太い足の
大きな馬が、一本の棒を境に長い顔を出し黒い大きなめで
私を上から眺め「ぶるぶる」と鼻を震わせ私たちを
迎えて、くれました。
その馬が、怖くて、怖くて母の足にしがみ付き泣き出した
私、「何もしないよ、ほら」従兄弟は馬の鼻頭らを
撫でながら、私ににっこり微笑んだのを、今も鮮明に
覚えています。
その実家の隣接する小屋を、拝借して母子三人の疎開生活が
始まったのです。
1945年(昭和20年)5月の事でした。・・つづく・・

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