老兵の半生(誕生)

昭和16年3月 私は、第2次世界大戦の勃発の年
神奈川県横須賀港を、一望出来る崖の上にある小さな借家
で母と手伝いに、山形から来ていた祖母の基で、産声を
あげました。
当時父は、海軍工廠横須賀工場に勤務しており、
インドネシヤのジャワ島スマトラに、造船技師の資格で
軍属として出征しておりました。
当時日本は、アメリカ、イギリス等の列強から経済制裁と
軍備縮小を要求されており、経済的にも外交的にも、
行き詰っており、列強に宣戦布告することで、南方諸国
を統治かに置き、そこから重要物資(石油等)を取得し
国力を高め、現状を打破しようと試みていました。
同年12月1日の"第8回御前会議"の基、アメリカ、イギリス
オランダとの開戦が、正式に決定され日本は、
昭和16年(1941年)12月8日、日本軍は
マレー半島に上陸、続いてハワイの真珠湾への攻撃を
開始し、同じ日、アメリカ、イギリス、オーストラリアへの
宣戦の詔勅が発表され、ここに延べ1000万人の兵士が戦争に
参加し失われた兵士数は約200万 非戦闘員まで含めると
約300万の人命が失われ、焼失住宅戸数は310万戸
戦費2200億円と云われている あの痛ましい
太平洋戦争への道につき進んで行きました。
図らずも私の幼年期は、戦争の始まりから終戦の混乱期
その後の貧困の世代を過ごす事となるのです。

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