HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

3月11日 (水) 猛烈な吹雪

冬将軍の最後のあがきか、気温-1度の中で交通網はホワイトアウトの中で
事故や渋滞が多く、社員の出社が軒並み遅刻の状態。
四年前の今日東北大震災で、なくなられた人達へ改めて合掌。


東京大空襲の日

昭和20年3月10日、焼夷弾の雨の中で約10万人の命を焼き尽くされた、
東京下町地区の惨事から、70年の月日が経つ当時4歳の私は、神奈川県横須賀市
横須賀軍港を見下ろせる、服部山の横穴防空壕でけたたましいサイレンの
響きと、雪のように降り注ぐきらきらとした焼夷弾に、目を奪われ「お母さん
花火が降っているよ」といいながら外へ飛び出そうとして、大変叱られた
事を微かに記憶している。

アメリカ軍のB29爆撃機の大編隊が、轟々と爆音を
響かせながら、東京方面に向かっていると母親から後で聞かされた。
父親はインドネシアに、船舶修理軍属として横須賀海軍工廠から派遣されていて

母と一歳の妹と母子家庭での、戦時中の出来事であった。
東京大空襲の結末は、終戦後何年か経った後母親の実家がある山形県の寒村で
周囲の人達より聞かされて、漠然と知った思いがある。

戦争ほどむごたらしい人間の行為は無い、しかしながら現在でも世界の何所か
かしこで、群れを成しての殺し合いが耐えないのは、人間の持つ悪魔の性なのか
今日はブルーな気持ちで、合掌。

3月9日(月) 時の流れは速い

3月を迎えたとたん、もう3分のⅠが過ぎてしまった。
今日は気候もまあまあ、期末の月は様々な模様し会議が目白押し。
孫の成長も早く、小学校の卒業式も目の前四月からは中学生、通学距離も
今までの半分の距離になる、小学時代一日も休むことなく頑張った褒美に

父親から、携帯電話を買ってもらい、じいちゃんの携帯番号を一番に登録すると
言いながら、家族全員の番号登録を昨日行っていた。もちろん「ガラ系携帯」
である。父親から、様々な使うにあたっての条件を約束させろれて、素直に
うなずいていた。

朝霧濃く

出勤時朝霧が濃く、日中は温度も上がり太陽も顔を出すという、予報で
気持ちよく仕事我が、出来そうである。
3月5日 (3)ご(5)」の語呂合せで、三月の誕生石を示す日だそうです。
私の誕生石でもある。一頃中国の船舶による日本領海付近での、赤珊瑚の
密漁が盛んに報道されていたが、最近記事に載らなくなったのは収まったのか
なと思う。

3月5日 寒さぶり返す

今朝の天気、小雪が絶え間なく降り続く昨日より気温5度ほど、下がる。
ノロウイルス系 胃腸炎の感染があちこちで聞かれる。幼稚園、小学校等から
家族への感染で、欠勤社員も出始めた。
季節の変わり目、様々な体調不良に健康の自己管理を、強めることが大事。