HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

孫との会話

今晩も長男は、会合で出かけて留守である。
「じいちゃんお風呂にはいるよ」6歳の孫に声をかける
「まって」孫はテレビに夢中である。
「先に入っているよ」と声をかけ一足早く風呂に入る
しばらくして「おまたせ」と声をかけ彼女が入ってくる。
いつものパターンである。
妻がいつも孫に「じいちゃんお風呂で眠ってしまうのが
心配だから」
「琴ちゃん面倒見てね」と話しているらしい。
「じいちゃん私ね、大人に成ったらお医者さんになるの」
「どうして」「私が゛お医者さんだったら、
じいちゃんとばあちゃん、病気になった時すぐ直して
上げられるから、死なないよね」一瞬ぎくっとさせられる
母親を亡くしているせいなのか家族が、欠けることへの
恐れを、無意識に感じているらしい。
「ありがとよ、琴が大人になるまで、じいちゃんもばぁちゃんも
元気でいるから」本当に孫はかわいい。

装置産業の宿命

顧客先との仕様打ち合わせに始まり、承認設計、本設計
部品図の作成、制御設計、部品加工、部品処理、組み立て配線
制御デバック、顧客立会い、据付、そして顧客先での試験運転
を得て、初めて売り上げに結びつく。
時々好きでなければ、やれない仕事だなと思う。
受注から売り上げに至るまで、物によっては何ヶ月も
かかってしまう。
設計陣の苦労は並大抵ではない、しかし彼らは果敢に
取り組んでいる。すべて彼らの行動で、顧客の満足度と
利益、損失のバランスが、決まってくる。
リスクの多い仕事を選んできた、トップの責任がいつも問われる
わが社である。しかしながら顧客の満足した評価を得たときは
非常に嬉しい。金策を考えなければこんなに面白い仕事はない
といつもおもっているのですが?
設計部隊もよくやっていると思う。
きっと私と同じように、社員全体が物づくりが好きなんだろうね。

朝のコーヒー

出社して、朝刊に目を通し気が向けば、ブログを書くのが
最近の私の朝の日課となっています。
業務のほとんどを、専務の長男が行なっているので、私の仕事は
金策と統括だけとなっています。
事務所は私がいる総務の部屋と、
設計、生産管理、営業がいる専務、常務が中心の部屋との
二つに隣り合わせています。
私がいる部屋には、総務課長(女子)と購買(女子)の三人です。
この二人の入れるコーヒーの味が、実にうまい。
それぞれに若干味が違うんであるが、私にはどちらも甲乙が
つけがたい。
私自身機嫌が悪かったり、悩んで落ち込んでいたり、
顔に出さないようにしているつもりなのに、自然と分かるらしい。
それでも笑顔で、毎朝旨いコーヒーを、一番に出してくれる。
いい部下を持ったものだと、時に触れ思っています。
ホワイトデーも近いことだし、昼飯でもおごろうかな。

経営への情熱

3月に入ってなお出口の見えない、暗さが続いており
製造業にとっては、「啓蟄」だと言うのに依然春の訪れは
なく、冷え切った冬の厳しさにあえいでいる。
報道では、2番底、3番底などと報じられ果てしない奈落を
思わせる下降が続いている。
行政、会議所、職業安定所、各金融機関等も、必死に企業の
支えと生るべき施策を打ち出しその説明や、情況分析に
全力をそそいでいる昨今である。
もちろん企業そのものも、自社分析の中で税理士等の助言を
受けながら、生き残りをかけてのスリム化を行なっている。
約410年前に上杉藩120万石から30万石に、其の財政を減らされ
越後から米沢に藩変えをさせられた時
大河ドラマ「天地人」の主役「直江兼続」が行なった藩財政の
建直の基本方針は、400年を過ぎた今、なお新鮮に私の心を打つ。
一人の家来も越後に置き去りにしないで、米沢にすべて
引き連れてきたと、言い伝えられている。
まず藩政の中心に人の大切さを、置いたこと
謙信の重んじた「義」と言う心を貫いた事、私のような凡人には
まねの出来ない事ではあるが、そうありたいとは思っている。
上杉家の藩変えの情況が、今の製造業の情況にそっくりである
120万石から30万石と言えば、収入が1/4に減ったわけで
其の中で、人を切らずに藩財政の建て直しの基本精神
を打ち出していき、それが後の上杉鷹山による
行政改革に成功し財政危機を乗り越えて経営改革を
成し遂げることに至るのである。
我々の受注高も、総じて同じ様な情況であります。
人を切ってスリム化を図るか、他のスリム化の積み重ねを丹念に
行なって、経営の建て直しを図るかそれは、経営者の経営に対する
根本的な考え方によることで、違ってくるのでしょうが。
とにもかくにも、トップの経営に対する情熱が、冷めないように
モチベーションを、維持することが一番今は大事な
事柄と思います。

謝恩の心

3月は卒業式の月であり、高校から始まって、大学、小学校、中学
幼稚園まで、保護者にとって忙しくもあり、嬉しい行事の
続く月でありひと時の、肩の荷が下りほっとする月でもある
昨日高校の卒業式、続いて祝賀会とお招きを受け
参加してまいりました。
最近は謝恩会と言う、言葉は使われず祝賀会と称して
保護者と先生方が、無事生徒たちを送り出した達成感と、
喜びを分かち合う、祝宴なので祝賀会と称するのかもしれません
謝恩という言葉は、かろうじてPTA会長の挨拶の中で述べられては
いますが、一般の保護者の中には、先生に対して、社会に対して
地域に対しての謝恩と言う感謝の心が、どれほどあるか疑問でる
時代の流れ、考え方の変化といえばそれまでですが、
地域の中の個人、社会の中の自分と言う概念、連携と連帯の中で
生かされていることを、せめてこの様な席では、感じ取ってほしい
小さな単位で、席を固めただひたすら飲む、逆に先生方が
席を立ち、父兄たちに酒を注ぎねぎらいの言葉をかける。
ちょつとおかしい、祝賀会である。
「貧すれば鈍する」いまどきの景況のせいもあるのかな。