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東京大学大学院 平木君の思い

当社訪問へのお礼のメールをいただきました。


突然のメール失礼いたします。
先日貴社を訪問させていただきました、
東京大学大学院の平木と申します。
このたびはお忙しい中、お話をうかがう機会を
設けていただき、心から感謝申し上げます。
また、工場内もご案内くださり、本当に
ありがとうございました。
これまで本の中でしか知らなかった旋盤などの
機械を目の前にしながら、
地域が高校に対して何ができるか、また
また高校が地域に対して何ができるかを考える、
大変貴重な1日となりました。
私事で恐縮ですが、私の生まれ育った鳥取市は、
高度成長期に誘致した三洋電機の企業城下町なのですが、
例の経営再建問題やパナソニックへの吸収によって、
かつてない危機に瀕しています。
県庁からの視察があったというのも、そうした背景が
(昨年度鳥取県庁職員が、当社を訪問)
一因としてあると思われます。
県内最大の企業の事業縮小・撤退が検討されるなかで、
全県の人口が60万人を切ってしまった日本一
小さな県がどう生き残っていくのか、
それが私の研究の出発点であり、永遠のテーマでもあります。
もともとは法学部で地方自治などを勉強していたのですが、
鳥取にある唯一最大の資源は「人財」しかない!と、
教育の世界へとびこみました。
とはいえ、自分自身も含めて、多くの地方では
教育機関ががんばればがんばるほど、
「地域を潤す」はずの源流が、洪水のように
都会へ一方的に流れていきます。
その点にずっと違和感を感じながら、これまで研究を
続けてきましたが、長井には、それを解く
カギがあったように思います。
高校というダムを使った「治水」で、なんとか
「地域百年の計」を描こうとする、
その意味で、長井工業は県立高校といっても、
社長のような地域の方々と共にある、
まさに「地域立」なのだなと実感しました。
今後、横山さんや高校の先生方のお話もあわせて、
記事にさせていただく予定です。
私どもの拙筆では、長井の皆様の熱い思いを
書き尽くすことは到底できませんが、
長井の取り組みが少しでもうまく伝えられるよう、
精一杯努力する所存です。
出来上がりましたらご笑覧いただければ
幸いに存じます。
また、機会がございましたら、ぜひまた貴社を
訪問させていただければ幸いです。
私にとっては本当に貴重な、地域・学校再生の
モデルケースです。
それでは、取り急ぎお礼まで。
最後になりましたが、貴社のますますのご発展を
心よりお祈り申し上げます。
追伸:
さっそくブログを拝見させていただきました。
過分なお言葉とともに掲載していただき、
どうもありがとうございました。
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平木 耕平
東京大学大学院教育学研究科
比較教育社会学コース博士課程1年
E-mail: khiragi@p.u-tokyo.ac.jp
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東大・青学院生 来社(10月7日)

市役所の横山さんの、引率で昨年来社した教授の
紹介と言うことで、青山学院大学・大学院教育人間
科学研究科・教育学専攻博士後期課程の
中西 啓喜君と東京大学・大学院教育学研究科・
総合教育科学専攻・比較教育社会学コース
博士課程の平木 耕平君両名が来社し、長井市の
工業高校と地域人材教育の情況をヒアリングしたいと
言う要望でこられ、一時間ほど懇談を持ちました。
中々両者とも、好青年で日本の現況教育に対して
様々な観点から、全国を回って、ヒアリングし
教育の根幹を見極めようと、研究を重ねているとの事
こんな若者が将来の日本の教育界を、牽引していくと
思うと、頼もしい限りでした。



老兵の半生(生涯の友5)

卒業後のそれぞれの進路も、またばらばらでありました。
松井は上京し地下鉄会社に就職、その後何年かして栗橋在住の
女性と結婚。婿養子となる
又この女性がすばらしい人で、お茶、お花の先生をしていて
松井にいったそうです「貴方は頭がいいのだから
大学に入りなさい」その間のことは全部私が面倒見ます。
普通は中々いえないし、出来ないことです。私も彼の奥さんには
何度かあっていますが、純日本的女性の典型的な人で、彼を
常にたて、彼も婿殿のくせその亭主関白は半端ではないのです。
彼はその後大学そして大学院ドクターコースをえて、外資系
の大手企業に入社し、工業系経済紙に経済博士として、連載記事
をしばらく寄稿しておりました。その後しばしば帰郷するごとに
私の会社により、何たらかんたら経営について、話しては
情況説明をしていたものです。IT関連の海外担当取締りまで
上り詰めました。又人一倍郷土に対する思いがあって、自分の
子供に飯豊山から取った名前 (いでみ)と最上川から取った
名前(もがみ)をつけて言います。今は嘱託として会社に籍を
おきながら、全国に桜を植える会などを作り、各地区に苗木を
植える団体の会長職で、ボランテァ活動に生きがいを
感じているようです。
何年か前当地区にも、10本ほどの桜の苗木を植えております
何時あっても、常に何かに向かって前進をとめない態度に
もう60をとっくに過ぎているのに、苦労したであろうが
其のかげりさえ見せず、遠い日の密造酒を飲みあった青春の
時と、全く変わらない。
老兵の半生(生涯の友6)につづく

自社の草木 秋真っ盛り



今年はたった一つの実 花梨




色づいた "はなみずき" の葉と実

老兵の半生(生涯の友4)

入学して2年目ごろまでは、まだ女子高の生徒も在学しており
学校も新築なっておりませんでしたから、校舎全体の中に
女子高の全日制、定時性、工業の全日制、定時制と
4つの生徒会が校舎を共有しており、生徒会や運動会等も
合同で行なわれており、とてもユニークな学校生活だったような
気がしてました。特に工業は100パーセント近く男子だけであり
女子高は、定時制を除いては100パーセント女子だけの生徒で
在ったから、そこに何らかの接点が生まれても不思議では
在りませんでした。
松井は生徒会の役員もしておりましたから、女子高の生徒会
役員との交流もあったようです。
ある日登校して、私の下駄箱を開けると四角い封筒が入って
おりまして宛名が、松井様となっておりました。私と松井の
下駄箱が隣り合わせで、合ったため多分間違えたものと、思われ
ます。
その後二人の、文通は卒業時まで続いたようです。
下駄箱通信は、前の夜かいて相手の下駄箱に入れておけば
次の朝彼女が読んで、下校時彼の下駄箱に入れて置けば
其の夜彼が読む。切手もいらず特急便で、相手に届く
結構何組かは、下駄箱をポスト代わりにして、青春のひと時を
謳歌していたようです。
我々にとって貧しさの中でも、現代にない人と人との絆や
交流は、知恵を絞っておこなっていて、精神的な豊かさは
現代の若者には、負けない中身の濃さだったような気がします。

老兵の半生(生涯の友5)につづく