HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

女房達のミニ展示会

奥様方が集まって、昔の着物の端切れを使って、人形を
作ったり、布切れを細かく切って貼り付け、様々な絵を
描く。普通の絵画と違って、絵の表面が盛り上がっていて
重厚なボリューム間に溢れ、額縁から絵そのものが浮き
上がって見える。
中々の趣である
今月末まで、はぎ苑 食事所「多夢炉」
ギャラリーにて展示中












暫くぶりで中村先生と酒を酌み交わす

先日ソーラー講演会の後、友人達とちょいと一杯のつもりで
スナックに出かけ、講演していただいた菊田先生を囲んで
これからの地方の"ものづくり"の方向などに、話題の花を咲かせて
降りましたら、友人の1人が「そういえば今日中村先生が、長井に
来てるんだよね」と話したので私は「合流しよう、菊田さんにも
紹介しよう」と話が決まって一緒に、酒を魚に急遽懇談会を
開く事になった。中村智彦教授は現在神戸国際大学経済学部教授
であり、専門は産業論、中小企業論、地域経済論等の博士号を持ち
長井市の産業振興の役員も勤められており、又NHKや民放のラジオ
テレビにも中小企業や地域経済の専門家として出演されている
我々が一番見ている番組が、日本テレビの「世界一受けたい授業」
において「工場見学」のコーナーを担当している。
本当に久しぶりであった。当然中小企業の現況やこれからの企業
経営等で、話が盛り上がり気がついたら午前1時半を過ぎていた。
結論的には、まだまだ日本の"ものずくり"は捨てたものではなく
自信をもって、まい進する事が地域の活性化に通じるし
中小企業の繁栄は、経営者のモチベーションの高さによると
思うと先生の、話をきいて確信してきました。




社内レイアウト

今回社内の総務、管理、設計、電装、検査部門の大幅な
レイアウトを、今日から実行に移す事にした。
組織と役割分担も含めてまずは、環境からはじめようと
かねてから、部屋の位置、デスクの位置等の配置を図面化し
各部屋の機能的配置とパソコンでのランに、よって常に
意思疎通が行なわれ、いちいち動き回らなくても、指示や
連絡や状態が一元的に、把握できる事を目指し人の動きの
無駄を排除し、的確な指示を即断で出せるシステムを
構築したいと思っている。工場生産のレイアウトは略満足に
近い情況に成っているのに、間接部門が少しちぐはぐな情況に
あり、統率が取れないため自然と書類が多くなり、部門別に
重複する作業も見受けられ、それによる経費の無駄も見受けられ
今回はかなりシビアに、単純化を目標に社内ランを酷使して
間接部門レイアウトに踏み切った。すこし抵抗もあるが
トップは鬼に徹して、断行するつもりである。

「トイレの神様」紅白で

11月25日の読売新聞紙上に、「トイレの神様」植村花菜さんの
祖母との思い出を綴った歌が紅白初出場に決定と、記載されていた。
図らずも一昨日、NHKの歌番組でこの歌を歌う、植村さんの姿を
見ていて、初めて聞いたのに大変感動させられた、詩の内容で
あり、曲もよかった。少し長かったが少しも違和感がなく
最後まで聞きほれた。
私が昔から聞いている、トイレの神様とはすこし違う雰囲気の
神様像であったが、それは現代風御伽噺のようでよかった。
私が聞いていたトイレの神様は、よろず神々の中で一番"財"を
もたらして、くれる神様で其の家の繁栄や、財を司っていて
家を新築すると、それぞれの神様たちがわれ先と各部屋に住み込む
をはじめるのだそうです。しかしながらトイレの神様は大きな
袋を背負い、えっちらおっちら歩くので、新築の家に着いたときは
各部屋や住めるような場所は、他の神様に占領され残っているのは
トイレの場所だけで、すこに住み着くため「トイレの神様と」
言われるのだそうです。トイレの神様が背負ってきた袋の中には
様々なものが、ぎっしり詰まっていてそれは、優しさを育む薬
努力する薬、一生懸命商売する薬、病気を防ぐ薬その他、人間生活
に必要で、幸せに過ごせる心の薬が一杯詰まっているのだそうです。
しかしその袋の口は、きれいにトイレが掃除されていて、家族や
客人が、快く用が果たせて初めてすこしづつ開くのだそうです。
良く会社など、トイレを見ると其の会社の内容が解かると言われます
し、家庭もトイレを借りる事で、其の家の家族が幸せかどうかが
解かるといわれます。

親子の写真

息子たち二人と同じ職場で、働くようになってからもう七年近く
なるだろうか。突然長男から一緒に写真とろうかと言われて
ふと考えてみると、私自身も成人してから親父と一緒にとった
写真がない。最近写真を整理していて母親との写真はあるが
父親と二人で取った写真がない。又二人の子供と取った写真も
彼らが成人してから、家族全員の写真はあるが男だけで
取った写真は見当たらない、まして同じ職場で働きながら
職場での写真が一枚もないのは、息子たちにとって
もの足りなかったのでしょう。
亡き父の年を越えた、自分の年を見つめながらちょっぴり
長男の申し出がうれしかった。父の生前に私も一緒に写真を
取らなかった事に、ちょっと後悔もしている。