HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

会議所工業部会と長井市商工観光課との懇談会



1月21日タスホテルにて開かれる。
平成23年度における市の工業振興策と商工会議所の
工業振興策についての、説明に伴う意見交換会
会員それぞれの立場の違いや、形態の違いにより様々の
意見が出された。受注活動における方向性や地域製造業の
これからの方向性など、様々な意見の中で従来の振興策の
継続だけではいかがなものであろうか等の意見も出された。
近い将来を見据えた長井地区の"ものづくり"を考えた時
この小さな地域内での活性化は、単なる全国平均的活性化
施策では意味のないような気がする。唱えている事と
施策計画の間に矛盾が見られるし、又協調や連携が鍵と
なる事柄の中でも、誰が取りまとめ役をするのか
人事のような考えがあり、危機感が欠如している。
一部を除いては、オンリーワン的発想は絵に描いた餅
所詮ずるずると衰退の道を歩むことが、一番楽なのでしょうか
私はその道を選びたくない。

中国大連からのファックス

中国大連にある機械部品メーカーからの、突然のファックス
機械、板金、研削、ワイヤーカット、放電加工が行なえます
ので、よろしければ発注してくださいという文面でした。
殆どの加工設備は、台湾製をあらゆる種類備えているとの事
私どものような、小企業にまで営業をかけてくる中国"ものづくり"
企業の貪欲というか、勢いというか驚きと共に、我々にとって
海外の企業に直接、アプローチする事など考えなく
殆どが商社などを間に挟んでの、販売になるのに、規模的に
どのくらいの会社かは、詳しく解かりませんが、日本語や
英語で対応でき、輸出ライセンスを持ち日本を相手に
4年ほど、日本企業三十社ほどと取引の実績があると、
文面にある。国内大手の中国での生産が拡大し国内中小の
仕事量が減少の一途をたどっているのに、価格の安さを
武器に中小の領域まで、直接手を伸ばしてくる中国人
時代背景はものすごい速さで、全ての面でグローバル化に
変身してきてる。

あかりをつけましょ、ぼんぼりに・・・・





ひな祭りよ、早く来いと孫が飾り立てた。
子供にとって、時間の流れがとても遅く感じるらしく
楽しい行事は待ち遠しく、早め早めに心を追い立てるかも
知れませんね。私など時間の流れがとても速く感じられ
いつも時間に追いかけられているようで、あっと言う間に
一日が過ぎてしまう。同じ時間の流れも年代が進むにつれて
どんどん新幹線になっ行く思い。
今日もすばらしい天気で、あっと言う間に春が来そうです。

「世界一受けたい授業」(日テレ)の中村教授が来社

1月18日中村教授と日本実業出版社 月刊「ニュートップ」
編集部の田中 学氏が来社された。中村教授が執筆している
シリーズ「日本一訪ねたい工場」の取材で同誌に私どもの
工場を取材し記載したいとの事でした。
大それた事で、記載されるほどの価値などない
工場ではあるが、長年中村教授との親交もあることなので
取材に応じることとした。
四月号に記載されるとの事でした。


55年前の追憶

「いさおさんですか、私米屋の次男のじゅんいちです」
私が中学三年生まで、住んでいた近所の幼馴染からの
突然の電話でした。

当時近所には私の二つから
七つ下くらいのまでの、子供たちが六、七人いていまして
小学通学時は、高学年が前後を固めて特に冬季間は、集団で
通学するのが、日課でした。もちろんカジカつき、インデアン
ごっこ、いもに会、缶きり等の遊びも集団で。当時は
現在の塾等の、習い事も非常に少なく放課後は、殆ど
日没まで、遊びほうけていました。
ガキ大将が必ず先頭に立ち、集団を仕切っていました。
ガキ大将も中学生までの任期で、次の世代に引き継がれ
殆どの子度たちはそんな慣例の中で、育っていました。
多分私が時代背景の移ろいの中での、最後のガキ大将で
あったと思います。

「じゅんか・・・」「そうです」「今どこさ、住んでんのや」
「昔の言葉で話してもいいですか」「いい、いい」
「今千葉の松戸さ、住んでる懐かしくで電話してみた」
色々近況の事を話し合い「功ちゃん、がんばつているなあ」
たぶんメデア等に乗せていただいたのを、見られての
電話だったと思う。「じゅんもげんきだべ」「げんきだ」
たわいもない会話の中に、ほっとしてひと時の"なごみ"
を感じ、幼馴染と話していると、中間の長い人生を圧縮して
瞬時に、其の時代の気持ちにもどるから、不思議である。

私が中学を出た後、記憶では一度も会っていないのだから
もう55年の歳月が流れている事になる。不思議なことに
当時の彼の顔や、仕草性格、くせまで鮮やかに脳裏に浮かぶ
から、良く認知症になった人が幼年期や少年期の事は
全て覚えていることや、"三つ子の魂百まで"と言う言葉も
事実らしい。