HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

私の部屋は開発室?

金曜、土曜と試作製品の機能実験で、スタッフが
私の部屋に製品を持ち込み、様々に作動させてみる。
どうも私には納得できない点があり、修正やら部品追加を
指示するがうまく行かない。ソフトも含めてわいわい
がやがや、今日で二日目である。構想から一年の歳月を
かけているので、今月にはどうしても納得の行くものに
したい。試作品を前にして最後の試行錯誤である
スタッフを信じて休み返上で取り組むことになるかも
知れない。


時々嬉しい役回り

「じいちゃん今日ピアノ教室に送って」孫の頼みである
最近孫との触れ合う時間が、著しく少なくなっている。
小学三年生にもなると、様々な彼女自身の計画があるらしく
友達との約束や、何やらで忙しいらしい。
夜も朝の登校時間が七時と早いため、就寝時間が早く
私と話す時間も少なくなっている。彼女の成長する時間も
驚くほど早くなっている。
私も九月に長男との世代交代を控えて、長男をはじめ会社
幹部には口うるさく、特訓をしているので帰宅も少し遅い
そんな事からつい、孫との時間が少なくなってきている
昨年までは必ず入浴も私としていたのが、新しい母親が
来てからはお役目御免である。
ピアノ教室への送り迎えは妻の役目、たまたま昨日は
妻に用事が出来たため、私にお鉢が回ってきたのだろう。
久しぶりに色々話を聞き役に回っての、久しぶりの孫との
ふれあいであった。

五月病か?

眠い、朝中々目が覚めない、寝起きがすっきりしない
五月病なのかな?。朝食の食卓に山菜の"わらび"の
"おしたし"がでた。もらい物だといういよいよ山菜の季節
とおらいである。わらび、ぜんまい、こごみ、たらのめ
ささだけ、数え切れないほどの種類の山菜が次々と
食卓の上に登場する雪国の旬の季節である。
被災地の山々にも、これらの山菜は変わりなく恵みを
もたらすであろうが、被災地の方々にとっては、山菜取り
どころの話ではないだろう。
震災から丸二ヶ月を過ぎても、瓦礫の撤去さえ満足に行って
ないという。一歩一歩復興への道を全国民で連携、連帯して
いつの日か、被災地の方々が山菜取りを楽しまれる
心の余裕を取り戻せる日を祈るばかりである。
被災地の方々を思うとき、五月病などと言っていられない。

人生の卒業式

今日は隣組の葬儀で一日手伝いになる。
気温も風景も劇的に変化するこの季節、なぜか知人の人生の
卒業式が多い。逝去される年齢も様々であるが平均すると
70後半から80にかけてが多い。私どもの年代になると
葬儀に参加する回数がとても多くなる。いつも参加するたびに
寂しい思いが募るので、参加するのが苦痛になる

甥からのコメント

東京足立区で、樹脂整形の金型工場を経営している
甥から私のブログにコメントをもらった。
時々アクセスしていると言う。ブログかき始めて三年ほどに
なるが、親族からコメントをもらうのは初めてであり
アクセスしてもらっているのも、初めて知りました。
義姉の子供で中々イケメンの甥である。義兄も
私と同じ年齢で、現役で甥と共に頑張っている
私も仕事の関係で時々関東地区に行く機会があるが
中々訪ねることも出来なく、何年とご無沙汰している。
今度少し余裕をもって出かけた折に、寄ってみようと思う。
仕事を追いかけているうちに、時々人と人との絆をふと
忘れがちであるが、今日はブログを通じての甥との
触れ合いに、心和む時間がもててよかった。