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西置賜産業会 9月例会(工業高校の現状に憂い)

9月8日定例例会が開催され、20名ほどの会員参加で
「長井産業祭」への共催協力と海外視察旅行について
話し合いがもたれました。例会後県立長井工業高校の
船山 秀一校長による"日本の工業高校の現況"と言う演題で
講演を受ける。
1 昭和53年以前と以後
2 進路情況
3 学校週五日制
4 キャリア教育 5 離職率と定着率 

山形県、西置賜、の現況について高卒の進路情況や中学卒業
者数の推移などについて、興味深いお話を頂いた。
ショックだったのが、少子化の原因で高校入学希望者が
予想以上に急激に、減少傾向が推移してる事と普通高校への
希望者の割合が約全体、中学卒業生の七割を占めるということ
将来の職業選択を決めないで、大学に入ってから考えると
いう子供たちの比率が、毎年急増しているということ
でした。正に"ものづくり"日本の現状が教育方針の大衆迎合か
施策からも崩れようとしている。
基礎的職業教育の建て直しに、将来の日本国家が懸かっていると
言っても過言ではない。

地球にねじ止め

西置賜産業会の会員でもある、地元建設業の社長が来社し
久しぶりに懇談した。地元景況や業界別の仕事量或いは
円高や株安の影響など話し合ううちに、今新しい工法に
挑戦してますと話し始めた。構築物を大地に設置するためには
コンクリートで基礎を作りアンカーを埋め込み、それに
プレートを組合せ、設置するのが従来工法。
新工法は螺子状に加工を施した、平たい金属を大地に回しながら
螺子締めして行き、プレートを据付その上に構築物を固定する
と言う工法だという。作業効率は格段に良く従来の工法に
比べ強度も増し、価格も飛躍的にコストダウンできるという
今はまだ始まったばかりだが、今後はこの工法が飛躍的に
建設業界では取り入れられる事になるでしょうと話していた。
地元建設業も常に進化しているし、研究してるんだなあーと
感心させられた。そのほかにも色々再生エネルギー事業への
取り組めも実験的に模索しているという。我々"ものづくり"
産業においても、発想を転換させ他産業の躍進的考えを
取り入れたような経営を常に、模索していくのも生き残りの
一つかなと思いました。

老兵の半生(分かれ道4「水商売」)

1968年私27歳、友人が「有る社長がこっそり個人的にスナック
をやってみたいといってるから、力を貸してくれ」
といってきた。実は都内在住の頃アルバイトでバーテンの
真似事をやったことが有るので、そういって来たのだと
思う。「彼は表面に立たないから、すべて仕切ってくれ」
と言う。その頃三十歳も近いのに嫁なし、金無しうだつの
上がらない毎日を過ごしていた私の、心に魔が差した。
「面白そう、やってみるか」此の辺で一発情況を変えてみるか
と思ってはじめたのが、大失敗。一年半ほどで閉鎖
開店前より、悲惨な生活状況に陥ってしまった。
しかし学んだことは多かった。人の心の動き一度沈むと
今までの取り巻きは、蜘蛛のこが散るようにいなくなり
所詮人のふんどしでは、相撲は取れない事、振って沸いてきた
話には、必ずそれなりのリスクが伴い成功率も低い。
事業をやるときは、自分の計画で資金も全額自分持ち
そして自分自らの経営で、行うべし共同経営には
大きなトラブルと人間関係の崩壊が、付き物で有るということ
他人の責任を攻め、人間不信を拡大させる。
それから三年じっと芽を出す時期を、待つことにした。
同じ分かれ道でも、必然的に現れるものと突然表われるもの
またはその時の、心の状態でその後の情況が、良くもなり
悪くもなる。
若いうちに、転んでも立ち直ることはいつでも出来る
ただ転んでもただ起きてはならない。原因を検証し
その後の人生に転ぶ原因を作らないよう、学習して起きる
事が大切である。

国内ものづくりの危機

新聞、テレビ、ラジオ等のメデアで最近大きく報道されているのが
国内"ものづくり"産業の空洞化の加速。
アジア諸国に比べ法人税、従業員の賃金、電気料、等の
製造経費が、国内は非常に高いその上"超円高"の昨今
アジア諸国の中での日本の世界での、競争力低下は目を見張る
ものがあり、いずれの中小企業でも仕事の減少の大きさと
価格低下に、アップアップの情況に身をさらしている。
いかに技術力にすぐれていても、それを生かす環境が
荒廃しては生き残るすべがない。TPP問題にしろ円高にしろ
それらに対する政府の対外施策も、および腰で井の中の蛙
状態である。過去に貧困農民がブラジル移民で新天地を求め
広大な原野を与えられ開墾して現地で生きのびた事例のように
今海外に新しい生産環境を作り、再び持っている技術力を
生かすか、このままジリ貧の国内で別の道を模索するか
今激しい判断を強いられている国内中小企業であろう。
国内に一時的な判断で、"ものづくり"の灯を消してはならない
が、雇用や次世代の国の根幹に関わる"ものづくり"産業を
国民、新政府一体となって考える大きな転換期が、到来してる
事への認識を大にしたい。

老兵の半生(分かれ道3「高校卒業」)

9月5日付けの友人でもあり、同業者でもある長井製作所
の横山社長のブログに、"自由と束縛、権利と義務"の
下りで、「杭から100mの紐に繋がれた羊は、
自由が無いと考えるのか」との命題がありました。
紐に繋がれているから束縛されて不自由だと考える人
半径100mをはみ出そうと考えれば束縛(不自由)だが
半径100mの中は、紐に繋がれているとはいえ、
束縛は無く自由だと考える人。
どちらが正解というわけではありません。
というくだりがありました。
彼の言いたい内容とは、少し解釈が違って引用しているのですが
私にとって、卒業時に迎えた分かれ道はまさに、100M
範囲の自由で、生活の安定を選ぶかそれを、超えた自由を
求めて飛び立つか、二者選択の分かれ道だったのです。

1965年24歳、いよいよ卒業時を迎えたある日、今は亡き
担任の先生から「この学校で実習助手を募集してるから、
ならないか、身分は県職員になるがどうか」
将来通信教育等で教員免許を取得すると、教諭採用の道も
あるよ、ともいわれ心が大きく動いた事は確かでした。
家族も大賛成で、その方向を勧めましたが、私の心の中で
もう一つピンとこないものがありました。
それは生き方の問題で変化に富,誰に指示されることなく
自分の意思を通し続ける事の出来る、職業をやりたいとそれまで
転々としたわけですから、此処で固まってはいられない
そんな思いで、その申し出を断ったのでした。
高校に入ったのも最大の目的は、そんな思いを達成するため
の武器を得るためで、決して楽な道を歩む手段では
無かったのです。ふとそのとき先生の言われた方向を
選択してたら、今の妻にも出会わなかったろうし、今の
子供たちにも、孫にもめぐり合うこともなかったと思うと
人間の意志、これこそ形もない、色もない、匂いもない
つかみ所のないものであるが、此れによって全ての
環境や建物、経済、文化、社会それらのすべてが、意思から
作られていると、考えると自分の人生は自らの思いを
具現化しようとする、意思の強弱によって大きく変わって
くることを今しみじみと実感している。