HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

逆も真なり

最近の再生可能エネルギーの根本的方に、従来の逆説的
発想から、エネルギーを取り出そうとしてる技術が多く
見られる。理論的にはフレーミングの法則が基になってるらしいが
私にはあまり理解できないが、幼稚的に考えるとモーターに
電気エネルギーを通してやると、動的回転が見られる
逆に動的エネルギーを加えると、電気が発生する。
いわゆる発電機の原理が、これで動的エネルギーの基が
水力であったり、原発や火力による熱エネルギーを動的
エネルギーに変換して電気を作り出す。
又面白いのが、地球上に無限に有る水素を利用して電気を
作ろうとしているのが、究極のエネルギー発生源とも言われる
燃料電池の存在であろう、水を電気分解すると水と水素に
分かれる。逆に水素と酸素を合体するとそのとき電気がつくり
出され、排気物は水として残る。ゆえに超クリーンな
エネルギーといわれるのが、燃料電池らしい。
詳しいことは解からないが、日本の技術はこの方面では
世界のトップを走っているらしい。すでに実用化されてる
らしいが、コスト的に超高価な装置で一般的商品としては
まだまだ先の事になるらしいが、いずれ燃料電池を搭載した
車両が、運行目的だけでなく電源車として、多目的役割を
果たす日もいずれ訪れるだろうと思います。
そんな意味からも、次世代の方々には大きな夢を持って
"ものづくり"に対する考え方や技術を磨いてもらいたい物だと
最近つくづく思っている。

隣県新潟へも目を向けよう

新潟の大手の電気部品商社の部長が来社。かねてから
県内販売業者からの購入品購入に対して、価格に多少不満も
あって、新潟の取引先に依頼し購入業者の紹介をお願いして
おりました。その依頼により来社しましたとその部長は
一時間ほど、話されていきました。
その業者は山形に営業に来るのは、初めてだそうです。
新潟県全般で工業系製造業の、規模は東北六県全ての規模
をあわせたくらいの数に匹敵するくらいの規模を持ち
全国でも、有数な工業系製造業が盛んな県であるらしい
ものづくり関係でこの西置賜地区は、県内で距離的に
一番近く、片道一時間半圏内であるにも関わらず交流が
非常に少なく、福島、仙台圏と比べると格段の差が有る。
又当西置賜地域に"ものづくり"企業の集積と基盤技術が
数多く分布されてる事すら、隣県新潟では認識されてない。
色々話を聞いて見ますと、新潟地域の中小企業の最近の
現状の中で、農工連携による商品開発が非常に活発化してきており
大手メーカーの農機具とは、違った周辺農具が従業員5名
~30名位の規模の企業で盛んに商品化され販売されていると
いいます。それと同時に地の利を生かした関東圏への
活発な小企業のアプローチが高く、中小の小回りを武器に
大手メーカーにくい込み、試作、開発協力当でもかなりの
実績をあげつつある情況だそうです。
地域産業の持続化を望むのであれば、福島、仙台圏だけで
なく新潟圏にも、もっと目を向ける必要もあると思えた。

ほっとする店

野川べりに、私が気の向いた時に昼飯を食いに行く店が有る
本来は夜が本職の、小料理屋であるが昼時は安くて旨い
丼ものを中心に、昼食を出してくれる。
暖簾をくぐると「いらっしゃい」と威勢の言い言葉が。
この店の親父は私と同級生、静かな人でありその反面
奥さんは明るく、にぎやかな人である。
店の切盛りの中心は、その息子で中々のイケメンである
昨日もふらっと出かけ、カウンターに腰を掛け天丼を
注文する、「どう最近忙しいかい」「今週末あたりから
忙しくなりそうです、地域のお祭りや色々な行事が続き
ますから」会話を交わしながらも手がすばやく動いている
「おまちどうさま」ほかほかの天丼が目の前に差し出される
この味が口にあうんだなぁー、この店の料理は決して高級
料亭のものとは違うが、我々庶民には価格も含めて
ぴったりの感じである「どこの店かって、野川べりの"天六"
です」作る人の人柄が店の雰囲気を作り出しているは
どの店でもいえることだろうと思います。
どんな商売にしろ原点は、経営者の人格に左右されるのは
間違いない事実だろうと思われます。

老兵の半生(分かれ道6「装置産業へ参入」)

1980年創立して10年、量産部品の下請け加工をやってきて
何か自分の仕事内容に物足りなさを感じ始めていた。
何事も取引会社の指示通りの、作業内容で部品を作り
ただコストダウンと品質だけを、考えていれば仕事は
蛇口を捻れば水が出るように、来てた時代。
加工技術も品質も一定以上進化するとは、思えなかったし
提案するチャンスもなく、自社の意思は全く入り込む
隙もない生産環境でありました。
其処に振って沸いたように、看板方式を導入しますとの
取引先からの通達。そうなればますます完全子会社化の
中で、生きなければならなくなる。

侍の世界で言えば御家人の立場で、仕事の安定化とそこそこの
経営的安定を選択し続けるか、野武士的存在で自由に仕事を
選択したり、自社で仕事を作り自分の考えを反映できる
環境を選んでいくか、大きな決断の分かれ道でした。
まずは取引先を増やし、量産品から単品部品加工や
冶工具品の製作に移行。商品開発の手伝い、省力機械の
修理等々を目指して行きました。
不安定な経営が、続きました。
それでも充実感にあふれ、後ろを見ることなく前進一筋の
40代の毎日でした。
その後設計や制御関係の人材を育て、家電関係、車関係の
製造装置を製造できるまでに、なったわけですが
一番大事なことは人材を育てることそれも、自社の方向性に
マッチした、技術を有する人材をどう確保していくかで
勝負は決まるような気がします。

今日のブログより

"一足飛びの成長には歪みが発生"の項目で
㈱長井製作所の横山社長の、ブログが掲載されていた。
昭和の高度成長期頃までの日本では、先人や先輩、そして両親・
祖父母などの経験者を敬い、教えを請い、行動を見習う事を
当然の姿として来ました。::::::::::に始まって
現代の生まれてから成長する過程に、おいての家庭内教育や
社会での教育が、一本の枝落ちされた木のように
一直線であり普通なら沢山の身近な、躾とか家庭教育
或いは先輩とか、スポーツとか様々な枝葉の部分での
教えを受けて、成長し大人になるのによけいな部分を
取り除かれて一足飛びで成長する、若者や社会に警告している
私もこのブログには大賛成で、特に最後のくだり

"人間の精神的な成長過程でも、社会が徐々に拡大していくような過程
(親子関係、祖父母・親族を含む大家族関係、更に隣人関係)を経て、
より大きな社会(幼稚園、学校)へと進まなければ、
組織をコントロールする立場になるなどは困難と
なるのではないでしょうか。"
には同感であります。ぜひ一読を進めます。