HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

招待客300人の結婚披露パーティ

昨日高校の後輩の長男の結婚披露宴に、参加して参りました
寿司やさんを営んでいて、長男も二代目として後を継ぐそうで
他店での5年間の厳しい、修行を得て帰り今回の結婚と
なったそうです。それにしてもすごい人数の招待客で
すっかり驚いてしまいました。此処10年来の大きな結婚披露宴
参加でした。大部分が父親の幅広い人脈と交友関係の
なせる事と思っています。地区一番の寿司店にすることが
若い二代目の目標だそうです。中々の好青年で父親共々
きっと将来その目標がかなえられることと思います。
頑張れ次世代。

事務所レイアウト

今日から事務所の新レイアウト作業がはじまった。
今まで総務、業務と設計、制御の部屋が別々であった物を
一つの大部屋にまとめる事にした。色々コミニケーション
不足の中で、二重発注やら違う種類の品物を発注したり
納期確認が、別々な認識を持ったり様々なすれ違いが
出たり、連絡を忘れていたり不都合な面が見られたので
今回エコも含めて、大幅なレイアウトを敢行することにした
社長、総務、業務の在籍していた部屋を、会議室とし
普段は暖房無し、電灯無しで必要に応じてそれらをONする
それによって、エコにもなるし社内インターホーンを
使うことなく、すぐその場で連絡できる体制になるし、
今まで会議室が工場二階にあるため、いつも応接室兼会長室を
使っていたものが、新に事務所隣の会議室を使用出る様に
なる。私も少しはほっとできる。

星空の下で(3)

「あの事件は先生気の毒だったよね」松田が話し始めた
その事件とは、その日の歴史の授業は三時間連続での予定で
あった、その一時間目の初めに平井の酒臭い件が発覚。
机に頭をこずかれ、誰かが「先生今の行為は、教育者として
あるまじき行為では無いかい」と叫んだのをきっかけに
先生を非難する声が、教室一杯に上がり等々その後連続で
二時間、先生と生徒の関係についてや、人間通しの付き合い
等に、ついて先生を教室に缶詰にしてしまったのでした。
「先生にとっては、未成年の生徒が殆どでありまして、昼の
専任から、夜間生をも教える掛け持ちであったから、戸惑いも
あったよね」と松田が続ける「平井にしても学校が好きだから
少々酒の付き合いがあっても学校に来た気持ちは解かるし
先生の行為も、教師としては今考えるといかに平井が成人
に、達していたとしても当たり前だったと思う」
「しかしその後がやばかったよね、その日を境にしてその先生が
一ヶ月も休暇をとって授業に出なくなったのだからね、
後でわかった人だが、その時の授業が原因でなく病欠だったんだ
ときいて、ほっと胸をなでおろしたがね」加藤が締めくくるように
その時のクラス全員の気持ちを代弁した。
その時期の中間テストの全校成績の中で事歴史のクラス
平均点数は、80点を超えていたのは教室に缶詰した先生への
反省の頑張りであったと思う。
元々このクラスには優秀な生徒が多く、勉強したくても
経済的理由から、高校に入れず一旦社会で働きそれでも
高校を目指して、通信教育を受けていた人達が多かったから
この地区に新しく工業系の、夜間部が出来た事で入学した子や
初めから働きながら、高校へと経済的理由で入学してきた
子供達の混成クラスであったため、4年間の平均テスト成績も
65点を下回る事は無かった。

星空の下で(2)

工業高校入学して一年の晩秋の体育の事業。木造の校舎廃校が
二年後に決まっている女子高の、校舎に間借りでの新設工業
高校の夜間部で、七段階も歳の違う級友達との授業であった。
女子校が他の進学校と合併が決まり、新に工業高校が新設され
女子校の在学生が卒業するまで、その校舎で一緒に授業を
受けていた。工業高校の新校舎は建設中でありその後二年の
時引っ越すこととなる。

「なあ平井、お前だったよな体育の事業で逆立ちさせられて
上着のポケットから、マッチと新生(タバコの銘柄)が
ぽろっと、床に落ちたのは」松田が口火をきる。
「あの時はあせったよ、ただ黒木先生だったから
運がよかった。鈴木先生だったら停学処分は間違いなかったろうね」
と平井。「しかしあの頃は大人の先生が多かったからね、
きつかったが、俺たちの事情をよく理解してたからね」
つい何年か前まで、母校の教師を務めていた加藤が、合いずち
を打つ。
「しかし平井は先生との問題の種を良く作っていたよね、
あれは、中秋の名月あたりの歴史の授業で、俺の隣の席で
酒臭い息を吐いて、寝ていたよな実ははらはらしながら
わき腹を、つっいたのにお前は起きなかった」と
私が言うと、「あの日は職場の芋煮会があって、先輩に
無理に飲まされたが、学校が好きだし、酔ってもなかったし
自転車に乗っても、大丈夫だから来たんだが、さすがに
三時間通して、歴史の勉強は眠くなるわね」と平井
当時は授業科目が、昼夜兼務している先生方の勤務事情でか
連続して、二時間三時間授業の科目があり、周一の科目数が
多かった。

教段を降りて近づいてきた、多分五十代くらいだったと思うが
歴史の先生が、「平井起きろ、平井起きろ」と二度ほど
声をかけそれでも起きないので、直ぐ近くまで近づき
一瞬顔色が変わった。多分アルコールの匂いを感じたのだろう
次の瞬間頭髪をつかんで、机に二度ほど打ち付けた。
当の本人は、痛いといって目を覚ましたが何が起きたのか
きょとんとしていた。
其処からクラス中が、騒ぎ立てる事件に発展。何しろ一番
歳頭が22歳~七段階下までの年齢混成クラスである。

気の緩み

朝からトラブル発生。数値の誤入力で、不良品が20個位
発生してしまった。
製品の重要な部品で、組み立て不可の判定が検査より報告
長年作り続けているものなのに、初めてのトラブルである
何とか使えないか、設計も含めて会議をもったようですが
再作を指示する。全くのヒューマンエラーである
なれが引き起こすエラーであり、作業者の心になにか問題が
あったのかなぁーと思い、よくよく聴いてみることにしたい
人の心の動き、状態日によっていつも安定してるとは、限らない
が、仕事上では決してあってはならないことながら、
それを、発見し即座に修復するシステムが大切。
幸いにも、客先にそのまま出荷するという事態は避けられたが
検査体制を日頃より強化している面で、それがいち早く
発揮し、すぐさま対策を協議し指示した幹部たちの行動に
ほっとしている。トラブルを起こした作業員を責める前に
全体で、すばやく対策を立て協力しあって解決に向かう
会社システムこそ顧客に対して、絶対の信頼を生み出すものと
確信もした朝でもあった。