HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

12月8日 70年前の真珠湾攻撃の日

1941年12月8日太平洋戦争に、日本が真珠湾に先制攻撃を
仕掛け宣戦布告をした。
私はその時、神奈川県横須賀市汐入町の服部山周辺の
横須賀軍港を一望に、出来る借家でその年の3月15日
10ヶ月前に、生まれている。今年の3.11の東日本大震災から
10ヶ月なんとなく、不思議なめぐり合わせと、とも感じる。
一応戦前の生まれの中に入るのだろうが、この70年間数々の
国難の中で、生き延びてきた事に今日は感謝を感じる。
当時父親は、インドネシアに造船技師として軍属登用で
軍艦のメンテナンス要員として、渡航して私の生まれた
時期は日本にいなかったと言う。現在社員がインドネシアに
自社製生産装置のメンテナンス要員として、
父親が滞在していた、ジャカルタに今日も滞在中であり
そんなことからも、ふと亡き父親の面影を偲んでいた。

12月7日 来客が多い

師走も三分の一を過ぎ、社内も納期に追われてんやわんやの
情況で推移している。受注量も過去三年の同月同月を
対比すると三倍くらいの量であり、何年かぶりの残業の連続
で、社員の活況が見られる。
その分来社なされるお取引各位の数も多く、私も対応に
追われブログをゆっくり書いている時間が無い。
老体に鞭打って、事務所のサポートを行っている。

西置賜産業会忘年会

昨日はぎ苑にて、会員25社の参加で総会及び忘年会が
開かれました。今年一年の各社の景況の推移やこれからの
予測等においての、参加全社からのコメントを発表して
いただき、次年度へ向けての希望と意気込みを確認しあい
忘年会では、今年一年の憂いと垢を洗い流すように
和気藹々と懇談を交わし、遅くまで時間を費やした。
これからの日々は、各自様々な会合での忘年会の機会が
多いと思われますが、体に留意してすごしたいものです。
新しい年こそ、希望が持てる景況の年になるよう祈っての
閉会の手拍子で、閉めました。

インドネシア出張

今日の成田発の航空便で、電気担当の社員がインドネシア
ジャカルタに五日間の出張で出かけた。
自社製装置の出荷と共に、付き添いで設置後の情況確認の
ためである。若い彼にとっては二度目の渡航であり
グローバル化の進む、日本の製造業にあって五、六年前までは
我々小企業特にセットメーカーにとっては、考えもしなかった
情況である。現在国内納品の数を超えて海外地域への
納品が増えていて、いやでも海外渡航の機会を余儀なく
される。国際化に対応できる社員の育成も
今後益々必要になってくると思われるが、小さな我々
小企業にとっては、大きな負担となってくる。しかしながら
仕事の確保を考えた時、それも避けて通れない事柄であり
経営者にとって大きく頭の切り替えが必要に迫られ
戸惑いながら、進んでいる昨今であります。

仙台はバブル景気

仙台より商社の来客があり、地域情報を話してくれた。
全国より、今仙台は人、物、金の集まりでバブル的景況に
沸いていると言う。復興のため様々な仕事で人での足りなさで
各地から人が集まって、一時的な人口増加が見られ、それに
伴い、消費の増加でデパートや商店は著しい活況をしていると
言う。夜の飲食店街も人、人、人であふれかえっているらしい
義援金、支援金、保険金の導入で被害者に流入した金額も
多大な金額に、上っておりこれからの復興予算等を含めると
仕事、金の一極集中て゛暫くはこの状態が続くであろうと
話していて、東北地方では一部の建設部品や復興部品、道具
等の品不足が、続いているという。その反面同じ被害地域でも
都市部とそうでない地域との、格差も広がっており
不公平間も人々の間では、広がってきていると言う。
復興予算の決定の基、今後もこの景況は続くらしい。