HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

放射能

(1945年(昭和20年))8月6日
広島市への原子爆弾投下人類で日本人が、初めて放射能を
浴びる。今から67年前の今日の日付である。

私四歳の太平洋戦争末期のころである。神奈川県横須賀市より
白鷹の母の実家に、母と妹と私の三人が逃げるように疎開して
来たばかりの時期だったと思う。

67年経過しても心に大きな傷を抱えながら苦しんでいる
人達がいる。

3.11は天災とはいえ、原発事故による放射能の拡散は
人間の科学に対する奢りから出た人災である。

又長い長い歳月を放射能の恐怖におびえながら、
戦争の知らない世代が生きなければならないとは
我々世代の怠慢が巻き起こした歴史でもある。

真夏の空の表情

ロンドンは肌寒い気候だという。それでも祭典の熱気は
ピークを迎えている。日本は連日の猛暑。

もう直ぐお盆休みを迎えようとしている。今週一杯が
最後の仕事の追い込みになる。

ふと空を眺めその移り行く表情に、夏の終わりの
始まりを感じる。





若者のメダルラッシュ

日本選手のロンドンオリンピックでの、活躍は眼を見張る
ものがあり、昨日は内村航平の28年ぶりの体操個人総合"金"
を始として、連日銀、胴のメタル取得が続々。
オリンピックの世界でも続々と世代交代が起きていて、
若い世代に、メタル取得者が次々と受け継がれている。

"ものづくり"の世界においても世界間で、勝手の覇者日本から
若い東南アジア地域の国々に、技術も生産工場も
続々とバトンタッチされている現状であり、時代の流れを
痛切に感じる。

人口分布も正三角形の状態から、台形或いは逆三角形に
変化していく若者の裾野が薄くなっていく、成熟国家と
若者の裾野が富士山のように広く、安定した人口年齢分布の
発展途上の国々のエネルギッシュな、経済活動は
かって我々が歩んだ"いつか来た道"でもある。

「年をへし糸の乱れの苦しさに、衣の舘はほころびにけり」
 義家と貞任の やりとりを共感できる今の世界の
情況かもしれない。

山銀長井支店獅舟会役員会

8月2日タスホテルにて、山銀"獅舟会"役員会が開かれ
8月21日開催の総会試案、24年度事業計画案を採択
あわせて新役員人事案を承認した。

新会長に 協同薬品の横澤泰雄社長、新に加藤紙器社長
加藤 眞佐夫氏を副会長に選任した。
役員人事の大幅若返りの中で、今後の発展的活動に期待。

じいちゃん一号、二号

夏休みの孫達、一同(四人全て女の子)我が家にお泊り。
まあ元気のよいこと、騒がしい事、その上テレビジャックで
我が家全体が、孫達の占領下。

私のことをじいちゃん一号と呼び、息子(長男)のことを
おじさんとは呼ばないで、じいちゃん二号と呼ぶ。

自分では、息子は私に似てないと思うのだが、孫達の目からすると
そっくりらしい。内孫まで調子にのって自分の父親を
時には「じいちゃん二号」と呼ぶ。

今時の女の子は、男の子以上ににぎやかで活発で
気に入らないと、すねたり、泣いたり、地だ踏んだり
大人の女性を扱う十倍も難しい。
それでも孫は可愛い。