HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

明日(9月8日)は、長井小学校運動会

「じいちゃん見に来てね」孫。

カメラマンに、変身して孫達の活躍をカメラに収めよう。
天気はよさそう。

営業来社で応対が大変

午後に入ると営業来社で、四社も来られてそれも新潟、
福島、仙台と遠方からの方々が鉢合わせ、時間のづれで
重なり合って、対応と応接室の確保に苦労する。

此処最近の景況が、つるべ落としのような悪化現象が
みられ、材料、機器販売業者の営業が、すざましくなっていて
二、三人で訪れて、商品やら加工業務の説明に時間を掛けて
いく、その熱心さに無碍にも出来ず、時間をついつい浪費
してしまう。私なら暇だから聞いてあげても言いが
担当社員にとっては、自己の仕事をなげうっての応対に
困惑気味であった。

話を聞いて見ると、どの地区でも製造業の仕事量が
此処7月あたりから、減少傾向が進み海外移行傾向が
中小企業間でも、急速さを増しているという。
地元地域でさえ、何社かが噂されている現状であり
"ものづくり"の日本における環境は、今後どうなるのか
開き直りに近い心境である。

晴れのち曇り雨

今週に入り、晴れたり、曇ったり、雨だったり
日めくり毎に、表情を変え季節は秋に入りこんでいる。
「女心と秋の空」に例えられる秋の表情・・・

「女心と秋の空」が
もともとは「男心と秋の空」だったのと言う
知りませんでした。メールマガジンによると
「男心と秋の空」が使われはじめた江戸時代、
女性の浮気はもってのほか。しかし男性の浮気には寛大で、
移り気だったのはもっぱら男性だったとか。
"若い娘へ男性に警戒するよう戒める"
意味で使われていたそうです。

それが明治時代になって、イギリスの「女心と冬の風」を
意味することわざが知られるようになったことや、
その後の西洋文化の“影響”などもあったようで徐々に、
喜怒哀楽の感情の起伏が激しいことや物事に対して
移り気なことを示す「女心と秋の空」へと変化していった
のだそうです。

小学女子の誘拐が、つづけ様に報じられていますが
それも、思いつくまま後先も考えずにその場その場の心の
赴くままにの若い男の犯行。
まさか「男心と秋の空」ではあるまいし子供と言う弱者に
矛先を向けるなんて、起こってはならない犯罪である。
教育の弱腰と、父兄の"躾"の崩壊が、こんな男子を
作り上げているのか?

初秋の使者

事務所に毎日訪れる、おはぐろトンボ

今月の地域行事と会議

9月は地域各団体の講演会やら会議、例会、周年行事
等々への参加日程が、目白押しにある、数えてみると
13回にも上る、参加することが地域活性化への一里塚
と思っている。
各団体でも機関車役の人達の、若返りを図ろうと様々な
動きが今月ありそうで、時代の流れかなと思ってしまう。

政治の世界は、何でもありの動きの中で国家の事は、
付け焼刃の施策で、一時しのぎを図り、政治家自身の保身と
我田引水に、血道を上げている
なぜこんなに次元の低い政治家達を、国民は選択して
しまったんだろう。国民の責任も大である。