HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

天皇誕生日

名前明仁 昭和8年12月23日生まれ、現在80歳
日本の第125代天皇(在位:1989年(昭和64年)1月7日 - )。

ついつい天皇誕生日は、休日にされているが平成天皇の事については
知っているようで、知らない事が多いのが現状であり、私も孫に聞かれて
ネットで調べる羽目である。

昭和天皇(第124代天皇)の第一皇男子。母は香淳皇后。御称号は継宮(つぐのみや)。
お印は榮(えい、桐の別名)。勲等は大勲位。

魚類学者としても知られ、ハゼの分類学的研究者である。
魚類学における業績は各国で評価され、学界においても様々な役職にある。

大変穏やかで職務に対しては、責任感の強いお人のようにテレビなど見てると
そう感じられる。
私の八歳年上で、少年時代から結婚、天皇即位、現在まで理解している
つもりであるが、国のため沢山の行事をこなし平和な日本に皇室としての
業績を積み重ねて、こられたことは内容的に詳しくは解らない。

ただ時の流れの速さで、即位されてから25年の歳月を経て今年ももう少しで
終わると思うと、感無量である。

クリスマスプレゼント

今日12月22日は、冬至、明るい時間が、一年で一番短く
暗い時間が、一番長い。小豆南瓜を食べながら風邪を引かないように勤める。
三連休の中日で、細かい雪が音も無く振り続けている。

連休明けのクリスマスイブは、確実にホワイトクリスマスを迎える。
私への最大のクリスマスプレゼントは、五人目の孫が生まれることだろう。
外孫三人、内孫一人の、現状の中で内孫が二人目、予定は15日であったが
遅れている。たぶん予想ではイブの日誕生だと、私は思っている。

たぶん又女の子であろう。此処まで全て孫が女の子私にとって、ハーレム状態
うれしい限りである。一番上の孫がじいちゃんは、女の子が好きだから
孫が全て女の子なんだろうと、言っているのが本当らしい。
嫁からの最大のプレゼントである。

猪瀬さんアウトですか

史上最多の434万票もの支持票を受けて、都知事に成ったのにわずか1年で
辞職に追い込まれる。お金とは恐ろしいものですね、出所によっては毒となって
身を滅ぼす。

又出る杭はどこかで打たれる人の業の中には、人の不幸せは
蜜の味的、部分があってみんなで苛め抜いて、喜んでいる。

最初からしかるべき機関に、告発し調べてもらえばいいのに、素人の刑事が
素人の政治家を、詰問する茶番劇、長すぎたね。

世代交代

昭和40年代創業したり、継承したりした私たち世代の経営トップの多くが、
会社を2代目なり3代目に、継承させ会長職に一歩引いた知人の経営者が
今年は多い様に思える。

各言う私も昨年長男に、継承してもらった訳ですが、長年お付き合いのある
取引先の彼も、息子の新社長を伴って、来社なされ会長職になりましたので
今後ともよろしくと、挨拶なされていきました。

お互いに四十数年、創業後頑張ってきたわけですが、振り返ってみると
もう互いに、七十を過ぎ白髪の目立つ年になりそれでも、声の張りだけは
息子に負けないくらいに、話されていきました。

唯時代の流れの中で、私どもは経営している中で沢山いい思いをした時期も
在りましたが、新社長の彼らが入社したときから時代は、下降時期に入り
いい思いを味わうことなく、厳しい時代に経営を引き継ぐことと、なる訳ですが

だからこそ、浮かれることなく冷静な時代にあった方向を歩める、事ができる
のだろうねと、彼共々語り合って、久しぶりに今後のサポート体制を
確認しあいました。

巳年ももう少しで終わりです。

年男で明けた巳年の一年も、あっという間に後2週間で終わろうとしている。
会社の方も、最後の納期の品々や来年に掛けての、見積もりや打ち合わせで
師走の時期をばたばたしてます。

あんまり景気の良い年ではなかったが、可も無く不可もなく過ごせたこと
良かったと思っている。

個人的には、健康に対して不安があって入院を余儀なくされたが
何とか仕事に復帰し正月を自宅で過ごせるまで、回復できたこと
これまた感謝である。

来年の干支は午、今年の三本目の矢が果たして思惑通りに的に、命中するのか
いなか、馬上の安部総理をはじめ国民全体が注目する、年になるでしょう。