HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

長井法人会財政検討委員会

最近公的団体の、財政難の状況は少なからずいづれの団体においても
問題視されていることが、多いいづれも綱渡り状況の運営を強いられている。
企業数の減少、会員数の減少による会費の減額、補助金等の大幅減額、等々
に、よる原因が大きくなっている。

様々な経費、事業の削減をもってしても、根幹の目的事業は縮小するわけには
行かず、地域会員への貢献は待ったなしの状況でもあり、解散、合併は論外の
ため、会員増強、経費削減も限度を超えている。

地域活性や会員啓蒙のための各団体は、維持していかなければならない。
そのため、会員相互多少の会費アップは必要な、状況にならざるを得ないのが
時の流れのように思える。

受注と採算性

新規設備の受注は少し停滞気味、従来設備の改造やメンテの問い合わせが
多くなってきているが、採算的にはあまり良くない。
受注単価も合い変わらず、厳しい状況が推移している。

それには見積の正確さと、迅速さが必要になり少数多種生産の部品製作は
現場内の能力と、正確な工数の把握がもっとも重要な、要素となる。
納期も最短、品質も厳しく、打ち合わせや問い合わせの回数も多くなり
間接部門の工数採算も、大問題になってきている。

これらの問題を解決しながら、利益を確保するには大変な時期になってきたな
と、最近つくづく思う。
入り口と出口における、採算意識が薄く社員全体の意識教育を強化する
必要が、あるのかも知れない。

眼鏡新調

最近乱視の度合いが進み、眼鏡やに検査してもらう。
遠視、乱視の眼鏡を掛け始めてから、何回新調したことか、たぶん20個は
造りなおしたと思う。年とともに目の衰えが進んでいくことは仕方ない事と
思っているが、毎日PCに向かっての仕事は目が衰えると辛い。

気持ちは、変わりなく夢を追いながら息子にサポートされながら、現役を続けて
出社している。さて今日も顧客開拓に社長は出張、しっかり留守を守ろうと
思う。

日刊工業新聞7月21日の一面に長井市の事が載る

日刊工業新聞の一面下段に毎日記載されるコラム"産業春秋"筆者の
長井市を訪れた寄稿分が、掲載されていた。以下は全文

知人の葬儀で、山形県南の長井市を訪れた。
台風8号の土砂流出で、地元の第三セクター「フラワー長井線」は大きな被害を
受けたが、幸いにも名産のさくらんぼやブドウ園は無事だった。

市は地元の工業高校や中小企業、商工会議所が連帯した雇用創出運動に
取り組んでいる。若手経営者が運営するロボット大会も毎年開催。
家庭などの生ゴミを堆肥化し、農地に還元する取り組みは循環型社会のモデル
事業として全国から視察団が訪れる。

四方を山に囲まれ、最上川の上流部にこの地方は古くから置賜と呼ばれた。
平安時代に京の伏見稲荷や八坂神社から勧請された神社もある。
米沢藩時代には京の豪商の手で船着場が造られ、酒田を得て上方と結ぶ舟運が
開かれた。

ここから京や大阪に運ばれた蝋や漆、現在まで続く長井紬などの特産物が
上杉鷹山の財政再建を支えた。
明治以降は養蚕や織物業を振興。
その後鉄道敷設や工場誘致で人口3万の商工業都市発展したが、近年ご多聞に
漏れず円高による大企業の撤退や郊外型大型店舗の出店が相次いだ。

地元の銀行に永年勤め、京文化の影響を色濃く残す長井を愛した知人は、
一人娘の名に「京」の一字を入れた。彼は空海が京で布教した真言宗の
読経で送られた。

我が家のパンダ



土、日、月と連休の中で7ヶ月の孫と遊び放題。
爺にとって最高の時間を過ごす。