上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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親の代の時は宿敵でも 子の代では親戚に
上杉と武田は五度も川中島で戦った敵同士でしたが、武田信玄公が元亀4年(1573年)に、その後上杉謙信公が天正6年(1578年)に病気で亡くなると、家督を継いだ武田勝頼公と上杉景勝公は織田信長に対抗するため「越甲同盟」を結びました。更に上杉景勝公は武田勝頼公の妹菊姫様(武田信玄公の四女)を正室として迎えこれにより上杉家と武田家は親戚となったのです。
武田信玄公の遺言 「何かあった場合は上杉を頼れ」
武田信玄公がお亡くなりになる際にそう遺言されたと言われています。武田勝頼公はまさにこの遺言を実行され上杉景勝公の支援を得ながら織田信長と戦いましたが、遂に力尽き「天目山の戦い」で自害、そして武田家は滅亡してしまいました。
姉の菊姫様を頼り 武田勝頼公の弟が上杉に
武田信清(武田信玄公の六男)は織田信長の追手をかわし、姉の菊姫様(武田信玄公の四女)が嫁いだ上杉家に逃げ込みました。上杉景勝公に3300石で召抱えられた武田信清は生涯家臣として仕え、寛永19年(1642年)83歳で亡くなりました。その後も米沢の武田家は幕末まで高家衆筆頭として上杉家に仕えています。

武田信玄公の六男、武田勝頼公の弟、武田信清の墓。(画像中央の五輪塔)


武田信清も兄武田勝頼公同様、父武田信玄公の遺言に従いました。


春日山林泉寺の地図



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