午前中イタカ町神楽の三浦太夫宅を取材した後、午後から蔵王温泉への通り道、大きな鳥居を過ぎて
上野の集落の上野神楽太夫元の高橋清助氏宅に訪れた。
二百年程前から高橋家は代々、イタカ町神楽の太夫たちに宿を提供してきた。
そのイタカ町神楽の太夫から贈られた夫婦獅子頭のうち雄獅子が高橋家伝わっているのだという。
その由緒ある獅子頭は150余年もの間、蔵の中に保存され日の目を見ずにいたが、昭和46年2月
この神楽を郷土民俗芸能として保存していこうと有志が集まり、三浦健治さんの指導を受けて上野に神楽保存会が発足
した。
当時の会員は11人で代々門廻りをしてきたイタカ町神楽から伝授された舞を村社の祭礼時に奉納し
たり、地区まつりや敬老会で披露している。
参考 蔵王コミセンだより 平成24年1月1日号 掲載より
この参考資料をネットで検索し情報収集したのだが、獅子頭の写真を見て上山の石崎神社の獅子頭
を思い出した。
実際に拝見すると正に、そっくり。
上山 石崎神社
残念ながら記名や獅子箱等の手掛かりは無かった。ただ上山に太夫が健在だと言うので
調べてみよう。
三浦太夫から神楽指導を受けた当時は、先代の20代太夫の肇氏も健在だったというが、指導は健治
が上野に一ヶ月以上通い指導に励んだという。
神楽では組み立て式の「長持」という太鼓の台を兼ねた道具箱を曳いて移動する。
車輪はなく、リアカーに乗せて各地を回るスタイルが看板でもある。
昔は、テレビや娯楽も無い世の中なので神楽は大歓迎され、季節の風物詩だった。
清助さんも子どもの頃、神楽の笛太鼓の調べが聞こえてくると、血が騒ぎ心躍って何も手につかなか
ったという。
清助さんの祖父が漆掻きをし、漆塗りの職人でもあったこともあり祖父が仕上げたものだとい
う。
獅子頭の上野神楽は現在も公演を続けている。
19日に稽古を行ない来年正月3日には
「ぐっど山形 山形県観光物産館 新春公演」10:30と13:30分から
9日には蔵王コミセン新春公演
2月25日上野の会員の門廻り・やすらぎの里の公演
3月31日には山形民俗芸能連合保存会定期公演 中央公民館
今日のニュースで太神楽で有名な海老一染之助さんが亡くなったことが報道されていた。
笑点や正月の番組で兄の染太郎さんとの太神楽を観て江戸の風情を感じたものである。
TV番組で日本の伝統芸能を紹介する稀な存在だったが、また一つ昭和を感じさせる伝統芸が
消えてしまったようだ。
追記
清助さんの聞き取り話に和田幸太夫の「生き獅子」を三浦大夫宅で目撃した記憶があるという
ことを思い出した。イタカ町の獅子より面長で、なんと白木の獅子であったと・・・。
実は今日、其の「生き獅子」の話の手掛かりを探ろうと山形市鈴川町印役神明神社の宮司
さんに連絡してみたのだ。
すると「生き獅子」の話は不明だが、神社に獅子頭があるという事で、明日拝見する
事が出来そうである。
棚からぼた餅・・とはこの事か。
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