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『米坂線の今』小国駅の2 子どもたちに何を伝える

  • 『米坂線の今』小国駅の2 子どもたちに何を伝える

 待合室には米坂線の古い写真がずらりと並んでいる。駅長がいて、職員が常駐していることが、このような掲示を可能としたのだろうか。沿線の駅では今泉駅と椿駅を除いて、こうした掲示は見られなかった。他の駅が村上駅の管理下にあったことが、その一因であったのだろうか。とても残念な気がした。

 

 そして小国小学校2年生の「これからもがんばってください」との寄書きがある。豪雨により運行停止となる9ケ月前の令和3年11月の日付があった。

///この間はいっぱい見せていただきありがとうございます。中学生からおとなりょう金なんて知りませんでした。いつか電車にのってとおくに行って友だちとあそんでみたいです。コロナがおわったら、のってとおくにいってみたいです。そのときはよろしくおねがいします。///

 

 今、山形鉄道ではフラワー長井線を存続させるためにクラウドファンディングを募集している。その最後に、次の言葉が添えられていた。

///この美しい地域の鉄道をともに守り、ともに活気に満ちた地域を作る手助けをいただければ幸いです。

  「地域づくりは、百年後の子どもたちへの贈り物である」

 私たちは今、設立以来最も厳しい状況です。歯をくいしばり、未来の子どもたちのために力を尽くします。ご支援どうぞよろしくお願いします。///

 → 旅と鉄道クラウドファンディング | 山形鉄道フラワー長井線存続プロジェクト Flower Liner Continuation Project

 

 「コロナが終わったら、乗って遠くに行ってみたいです。その時はよろしくお願いします。」と書いてくれた子供たちに、私たちは何を伝えることができるのだろう。

 

 

【おらだの会】 「米坂線の今」は、10月12日(日)午後4時までの展示となります。

2025.10.10:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』小国駅の1 クマ駅長は何思う

  • 『米坂線の今』小国駅の1 クマ駅長は何思う

 小国駅は1935年(昭和10年)10月30日に開業。米坂線でも貴重なJR直営の有人駅である。赤屋根と白壁のコントラストが美しく2002年(平成14年) に旧長井駅や荒砥駅と共に「東北の駅百選」に選定されている。米屋こうじさんは「昔の役場のような風格ある建物が風景に良く似合っている。」と評している。(「鉄道ファイル」2008年)

 

 待合室に入ると、すべての窓にはカーテンが引かれていたが、隙間から事務室の灯りが見えた。運休となった今でも、職員が働いているのだろう。そんな気配を感じられただけでも嬉しかった。そして正面には「クマ駅長おぐたん」が鎮座している。最近でこそ「クマ」はとても迷惑な存在となっているが、小国町はマタギ文化を柱の一つにしながら、熊祭りなどをとおして地域活性化に取り組んでいたのである。

 

 クマ駅長の台座には町観光協会と小国駅長の名前があった。「駅からハイキング」などJRと地域の協同事業が行われていたが、「クマ駅長おぐたん」は駅と町の協働の歴史を伝えるもののような気がした。列車が止まっている今、クマ駅長は何を思うのだろうか。

2025.10.08:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』羽前松岡駅 除雪機とトイレのタオル

  • 『米坂線の今』羽前松岡駅 除雪機とトイレのタオル

 羽前松岡駅は1935年(昭和10年)10月30日に開業しているが、建物財産標には1936年(昭和11年)4月とあり、待合所は開業後半年を経て設置されたことになる。また駅名のローマ字表記が「Uzen」ではなく「Uzem」となっているのも面白い。

 

 駅舎は国道113号線から細道を入った所にあり、工事現場風な建物である。待合所にはイス3脚とシートが掛けられた除雪機があった。米屋こうじさんが17年前に撮られた写真には、松岡駅前には2メートルを超える程の積雪があった。除雪機は羽前沼沢駅にも保管されていたが、この区間の必須装備であったのだろう。

 

 待合所にはトイレもあった。旧式トイレだったが隅々まで掃除が行き届き、タオルもきちんと掛けられていた。駅を利用する人たちのために、朝早くから除雪機を操作し、トイレを掃除してくれたのは誰だったのだろう。かつて白兎駅で管理作業をしていたご夫婦が、汽車通学をしていた女生徒から感謝の言葉をいただいたという話を聞いたことがある。松岡駅にもそんな風景があったのだろうか。

 → 停車場ノート33 おじいちゃんありがとう:山形鉄道 おらだの会

2025.10.06:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』伊佐領駅  雪囲い板の隙間から

  • 『米坂線の今』伊佐領駅  雪囲い板の隙間から

 伊佐領駅は1935年(昭和10年)10月30日に開業。1975年(昭和50年)に駅員無配置駅となり、1993年(平成5年)12月に現在の駅舎が完成した。ログハウス風の建物に筆字の駅名板が付けられている。JRもこのような駅舎を建てるんだ、と感心してしまう程、見ごたえのある駅舎である。一度は訪問して欲しい駅である。

 

 ホームに出ると、「日本海美食旅」と書かれた柱状看板があった。新潟県と庄内地方の観光キャンペーンだったはずであるが、何故伊佐領駅にだけ残っているのだろう。さらに駅舎を回って行くと、雪囲い板の隙間から事務室が見えた。事務室の中には事務机があり電話や決裁板のようなものが見えた、さらにヤカンが置かれたストーブもあった。まるである日突然に、その場所から人が消えてしまったかの錯覚に襲われた。

 

 他の無人駅でもこのような事務室は配置されていたのだろうか。常駐ではなくとも、ここで働いていた人の姿が見えるようで妙にうれしく思えた。

 

2025.10.04:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』沼沢駅の2  駅ある風景

  • 『米坂線の今』沼沢駅の2  駅ある風景

 待合室には絵画も飾られていた。中学3年の女生徒の作品であり、「平成12年度子供県展入選作『駅ある風景』」とある。青い山々に囲まれた村の駅舎に、レールが此方と彼方をつなぎながら輝いている。

 

 彼女が描きたいと思った風景を確かめようと、ホームに出てみたが、ホームの高さと同じほどに草が生い茂っていた。輝いていたレールの姿は望むべくもなかった。これが今の「駅ある風景」なのである。

 

 彼女が通っていた中学校は2012年(平成24年)に統合され、廃校となっていた。今、彼女にとってふる里の風景はどこにあるのだろう。改めて駅舎のある風景の重みと温かさを思った。

 ※沼沢駅での思い出の記事はこちらからどうぞ

  → ああふる里、停車場そして友達:おらだの会

2025.10.02:orada3:コメント(0):[停車場風景]