米沢街道2

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米沢街道の続きです。

江戸時代、北条郷(現南陽市一帯)を通る公儀の道が米沢街道でした。

羽州街道※が慶長年間頃(1596~1615)から整備がすすめられ、参勤交代の道路として利用されると、羽州街道と米沢領を結ぶ米沢街道もそれに伴って整備されたと考えられます。

羽州街道の宿駅の上ノ山に続いて、川口・中山・小岩沢・川樋・赤湯を通り、大橋・糠野目・米沢と継いでいました。

羽州街道からの分岐点は上ノ山三本松にあり、追分の碑が建っています。

 

※ 奥州街道(五街道の一つ)の桑折から山形・秋田を通り、青森の油川で奥州街道と合流する街道です。

この羽州街道は。弘前・黒石(青森県)、秋田・亀田・本荘・矢島(秋田県)、庄内・松山・新庄・長瀞・天童・山形・上山(山形県)等の大名の参勤交代に用いられました。

 

参考:南陽市史

 

画像は上山市三本松にある「元禄四年追分板碑」です。

2021.05.28:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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