川樋地区のお宅におジャマしました。
玄関前にはいろいろな種類のアジサイが所狭しと咲いています。
奥様はアジサイが大好きで毎年違う種類のアジサイを植えているそうです。
アジサイにもこんなに種類があるとは知らなかったです。
元中山地区の消防ポンプ庫近くの丁字路を中山方面に進むと左側に「諏訪原の山神神社」が建っています。
古老の話によると、この山神様は以前中山にあったものだと言う。
神社の建立年月を知る上で、茅葺き屋根改修の時、棟木に打ちつけてあった棟札が出て来た。
それによると正徳四年四月一八日(1714)建立、施主は須藤孫右エ門(何代目かは不明)、大工は吉田吉之丞(日影の方?)と記されている。
神社の脇にあるお堂は八幡様で、これも古老の話によると須藤孫右エ門の敷地にあったものを現在地に移したのだと言う。(画像4枚目)
元中山に以前、山の神講があり福島県霊山近くの須佐の山の神様に代参を送っていた。
(福島県飯館村・虎捕山山津見神社のことでしょうか。)
引用:ふるさと中川「諏訪原の山神神社」他 加藤富雄 記
諏訪原(すわのはら)地名の由来である諏訪神社については「芍薬の杜諏訪神社」のホームページに詳しく掲載されていますので、ぜひご覧ください。
中川地区ではかつての村境(村の出入り口)に地蔵尊が祀られています。
極楽浄土への先導仏として、また子育てなど身近な仏様として、地蔵信仰が盛んだったことが分かります。
元中山地区の花窪集落の釜渡戸口にも地蔵堂があり、近くには講中碑も複数建てられています。
庚申塔三基・青面金剛塔一基、湯殿山碑、金華山碑、子待(ねまち)塔があるので、それぞれ庚申講、三山参り、金華山講(巳待講)、子待講(甲子待講)が行われていたことが伺い知れます。
参考:ふるさと中川「信仰と講中」佐藤鎭雄 記
かつて中川中学校の体育授業で「今日はロードレース」と言われれば、この花窪地蔵堂が折り返し地点でした。
この地蔵堂を見るたび登坂を走った辛さを思い出します。
小岩沢公民館から2~3km程の所に、二井宿に越える山道がある。この山道は600mの急な山を通らなければならない。又この道は二井宿を経て七ヶ宿・奥州街道に通じる近道でもある。この道筋に戦後二井宿村の開拓地(青井流あおいながし)があったが、開拓者がこの山道を通り、中川駅から山形・米沢方面に買い物などに出かけた生活道路でもあった。
この山裾に大きな岩があり、その岩陰に石造りのお堂が建っている。両側には灯篭が二基建っていて、石畳の参道になっている。
伝説では、この地を通りかかった安然大師※一行の中にいた長者の妻が急に産気づいた。安然大師は騒ぎを静め、岩の上に座り経文を唱えると、無事子供を産み落とす事が出来た。長者は大師の徳をたたえて勧請したのがこの子易観音であると伝えられている。
※平安前期の僧 入寂の地は諸説あり、その一つが高畠町時沢
引用:ふるさと中川「子易観音菩薩」小松久一郎 記