今日はとても気持ち良い天気ですね!
朝は雨がぱらついていましたが今はとても過ごしやすくなっています。
いよいよ芋煮会シーズンですね!
川樋公民館の東側、県道沿いにある明治15年(1882)に建てられた川樋学校碑です。
「遠望之巍然如王侯之居」
眺めが良く、(巍然)高くそびえ王侯の建物のようだと、学校を褒め称える文章や、
明治14年に行われた明治天皇東北御巡幸の様子などが、漢文で刻まれています。
この碑の題額※は皇族の有栖川宮熾仁(たるひと)親王殿下の御親筆です。
碑の右側に「陸軍大将兼左大臣二品大勛(勲のこと)位熾仁親王題額」と陰刻されています。
撰文は山形県一等教諭の肝月兼武氏で、書は明治の三筆と呼ばれた日下部東作氏、後の鳴鶴(めいかく)先生による大変貴重な文化財です。
熾仁親王殿下の御親筆による題額は、山形県内では山形市千歳山公園にある「物部守屋大連之顕彰碑」があります。米沢市松岬公園にある「従三位上杉曦山公之碑」の題字も親王の筆によるものです。
※題額(題字)は篆書体(てんしょたい)で書かれているため、篆額(てんがく)とも云います。
昭和50年代の子供達もさすがにこの碑で壁打ちはしませんでした。
参考:中川風土記(昭和38)、広報よねざわ
明治6年(1873)中川小学校の前身となる川樋学校が創立されました。
当初は川樋の松林寺に設け、明治10年(1877)新たな土地(6軒の家が提供)に校舎を建築しました。
今はその跡地に川樋公民館が建てられています。
川樋公民館の敷地には明治10年に学校が落成した時の記念碑が残されています。
安山岩の2メートル余りの自然石に、上に「川樋学校碑表」と刻まれています。
「川樋村、新田村、小岩沢村、元中山村の人々相計り、お互いが力や財を出し合ってここに学校を建てた・・・」と漢文で刻まれています。
後年、有難みの分からない昭和50年代の子供達が壁打ちをして遊んでいたため、摩耗して判読できない箇所があります。
誠に申し訳ございません。