9月19日(日)に開催予定でした「魚釣り教室」ですが、新型コロナウイルス感染拡大が続いている状況を鑑み、残念ですが開催を中止といたします。
開催を楽しみにしていただいていた皆さんには大変申し訳ございませんが、ご理解とご協力をお願いいたします。
無人化になる前の駅の様子です。
駅舎は待合室と事務室に分れていて、待合室はガラス張りになっており、切符売り場と小荷物扱いとに分かれ、冬になると待合室の真ん中にダルマストーブが置かれて何時も赤々と燃え暖をとられておった。
事務室には常時5~6人の職員がおり、列車が来る時間を見て、切符を売り改札をしたり、小荷物扱いと忙しく働いていた。
駅舎の西側には保線支区の事務室が建てられてあったが、米沢保線支区中川班といって常時6~7人の職員が勤めていた。
参考・写真転載(画像1・画像2)
ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記
木造だった駅舎は国鉄時代の昭和61年に、貨物コンテナを再利用したダルマ駅舎に変わりました。
建物財産標に「昭和61年3月29日」と標されています。
鉄道が敷かれると、物流は牛馬から貨車輸送が担うようになりました。引き込み線も中川駅の南側に一本、北側に二本あり、北側の引き込み線一本は列車通過の待ち合わせと荷物の積み降ろしに利用しました。
自動車の無い時代にはほとんどが貨車輸送でした。青果物に始まり、肥料木炭等が多く、終戦後は川﨑電気KK(現:㈱かわでん)へ大理石※が原石のままで送られてきました。
国道13号道路側の引き込み線からはぶどうの木箱詰め、岩部山から採石した中川石を山から運び、貨車で東京方面に送っていました。
参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記
※昭和中頃まで配電盤のパネルには、絶縁性に優れる素材として大理石が使われていました。
川﨑電気の工場にトロッコで運び、切断加工を行っていました。
画像1枚目は北側の引き込み線跡、画像2・3枚目は跨線橋からの眺めです。
引き込み線のレールが残っているのが見えます。