岩部山の駐車場と遊歩道の落ち葉掃除をおこないました。
遊歩道掃除は天狗岩を目標としたのですが、今年も31番で力尽きました。
登山に来られた方々とお話をしたところ、「遊歩道が管理されていて歩きやすかった」
とお褒めの言葉をいただきました。ありがとうございました。
元中山公民館から日影へ行く道の右側の山(字北ノ沢)にある、高さ235cmの大きな庚申塔です。
正面右側に「享保二」(1717)と刻銘があり、今から300年前に建てられました。
中央に弥陀三尊の種子(しゅじ)※があり、その下に「青面金剛(しょうめんこんごう)」と刻まれています。青面金剛は庚申の本尊になります。
2年後の享保4年、同じ元中山地区の花窪にも「青面金剛」と刻銘された庚申塔が建てられました。(画像3)
庚申講が盛んに行われていたことが分かります。
中川地区内の庚申塔について、次回の公民館だより12月1日号で紹介できるようにまとめています。
※梵字(ぼんじ)のことで、それぞれ阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩をあらわしています。
参考:日本石仏事典 庚申懇話会編
元中山地区の日影にある念佛供養塔です。
人々が集まって念仏を行う念仏講で建立したと考えられます。
念仏講に対し、米沢藩では「念仏講で大酒をしてはならない」と命令が出ていることから、念仏講に直会はつきもので、村人たちの楽しみだったことが分かります。
風化が進んで表面が剥げ落ち建立元号は分かりません。
画像2の右上に「七」の文字と、左下に「未」の文字が確認できます。
画像3の下にある文字は「天」(年の異字」のようです。
中川地区内で講の石碑が建立されるようになったのは江戸時代中期以降からです。
七年の未年で該当するのは天明七年(1787)丁未(ひのとひつじ)になります。
「ふるさと中川」に「念仏塔と刻まれ年号は文政十二年と見える」と記載されていますが、文政十二(1829)の銘が刻まれているのは、隣にある湯殿山碑です。(画像4)
隣の石碑と近くにある石碑は倒れていて、詳細は分かりませんでした。(画像5)
参考:南陽市史