食事処 ふたば
営業時間 11:00/14:30 17:30/20:00
火曜日定休
おろしなめこ蕎麦と味噌らーめんを頂きました。
大変美味しかったです(*^-^*)
元中山地区の地名が出て来る最も古い文書は、天文22年(1553)の伊達晴宗采地下賜録です。
「やしろ中山のうち、一、たい(代)の在け 一、うきめん三千かり 一、ひかけ(日影)在け (中略) をのをのかをん(各々加恩)としてくたしおき(下し置き)候所不可有相違也 あハのゑもん(粟野右衛門)」
この伊達文書から、粟野右衛門は「屋代中山の内、代在家※1と浮免※2三千刈※3と日影在家」を下賜されたことが分かります。
なお、伊達領下の時代、「村」にあたるのものが「在家」「由緒」になります。明治2年に分村するまで元中山は中山村に入っていました。
さて、日影(ヒカゲ)の地名については、山に囲まれ山の影になる地形から付けられたと考えられます。
小岩沢地区にある字、日向(ヒナタ)は南向きの場所で、沢を挟んだ北向きの場所は影沢(カゲサワ)です。
続いて代(ダイ)ですが、ダイ(代=台)とすると、前川による河岸段丘の平らな場所(台地)をさす、地形に因む地名のようです。
※1 百姓の小集団のことで、在家がいくつか集って村になる
置賜で在家がつく地名は慶長年間以前に開墾された場所
※2 面積だけ決めて、場所を特定しない非課税の田地
※3 約3町歩
参考資料 山形県史資料編15上、南陽市史
山形県の地名研究 長井政太郎著
奈良時代に「畿内七道諸国郡郷の名、好字を付けよ」と勅令が出ました。
そこで、地名に漢字を当てる際は好字(良い意味の字)を用いることになりました。
例えば、芦(アシ)は悪しに通じるので、葦(ヨシ)にして「吉」の字を当て、吉野・吉原といった地名になりました。
また、芳を使った芳ケ沢(ヨシガサワ)の字名が釜渡戸にあります。
中川地区の字名に「小屋」「高野」があります。
コヤは荒野の新開地のことで、江戸時代の新開地「新田」より古い言葉になります。
荒野の字に別の漢字が当てられました。
(庄内地方では興屋の字が使われます。)
画像1は以前セブンイレブンがあった字「鹿間小屋」です。
画像2はファミリーマートがある字「高野」です。
どちらも集落に近い下流側の傾斜地なので、水を得やすい場所から開墾されたのでしょう。
参考:山形県の地名研究 長井政太郎著
地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著