川樋と金山との境にある字小屋場です。
明暦3年(1626)12月に米沢藩は北条郷(現南陽市一帯)において大鳥狩を催しました。
南陽市史中巻より引用
「藩主網勝は、22日午後4時頃、中條・平林両奉行以下を供に赤湯御殿に到着した。雪路なので雪舟(そり)に乗ってきたという。
翌23日は明け六ツ(午前6時頃)に御殿を出立、「御小屋場」に向った。御小屋場は「宮内村之内石切場」とある。「御狩場之図」で見ると川樋村と金山村の間あたりらしい。その辺で石を切り出していたのであろう。」
コヤがつく地名は荒野の新開地が多いのですが、石切りに鍛冶小屋は必ず附属していますので、そこから名付けられたのでしょうか。
字小屋場の近くには砥石沢鉱山(金山地区)があり、字鍛治屋敷もあります。
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