中川地区の川樋(カワトイ・カワドイ)という地名の由来となった場所を紹介します。
河樋とも書き、戦国期から使われていた地名です。
赤湯町史によれば「河を越す樋から起こったものであろう」と記載されています。
川樋字清水尻(川樋の下(しも))の田(画像1)は諏訪神社の不老泉を利用していましたが、干害に遭いやすい地域ですので、雨が降らないと下流の田に水が流れません。
また干害の年は前川の水も干上がりました。
そこで利用したのが大洞の山崎山に湧く山崎の泉でした。(画像2)
JRの山崎踏切の近くにあります。
前川(画像3)の上に樋(画像4)を渡して、山崎の泉から清水尻の田に水を流して水不足に対応していました。
なお、護岸工事や土地改良工事で地形は名付けられた当時と大きく変っています。
地名は元々、話し言葉で後から漢字がつけられました。
柳田國男氏の「地名と歴史」に「奥羽各地で家々に近い物洗場または水飲み場をカワド・カードという・・」と記載があります。
川樋集落には諏訪神社の不老泉や虚空蔵山麓の寺清水などがありました。
カワドがあった地域に、特徴的な「川」を越す「樋」が出来たことから「川樋」という漢字の地名になったと推測します。
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