巡礼供養塔

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元中山永雲寺の参道に画像1の石柱が建っています。

上に「奉納」、右から「西國」「秩父」「坂東」、下に「供養塔」と彫られています。

側面には「文化四卯歳」(1807)の文字が見られ。この頃には東北からも全国各地の三十三所観音霊場へ巡礼へ出かけていたようです。

 

観音信仰は現世の人間を救済し、安穏(あんおん)な来世を願う信仰として大いに普及しました。

観音様は三十三身に変化(へんげ)して民衆を救うといわれ、三十三観音巡礼が行われるようになりました。

この巡礼は西国三十三所※をはじめに、江戸時代には坂東・秩父・江戸・洛陽(京都)など全国に開設されました。

当置賜地方にも置賜三十三観音があります。

 

画像3は元中山地区の花窪にある松尾神社参道沿いにある「巡礼供養塔」です。

正面に「西国三十三所」、左側面に「寛延四」(1751)と銘があります。

 

参考:南陽市史

 

※岩部山三十三観音は西国三十三観音を勧請しました。

2021.12.02:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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