公民館だよりに「宝山塔」を紹介しようと新田地区の山崎神社に行ってきました。
神社参道入口の石灯篭をよく見ると「寛政十二庚申天」と刻されています。(画像1と2枚目)
寛政十二年(西暦1800年)の新田村は石碑・石造物の建設ラッシュでした。
山崎神社参道のそばにある「百萬返塔」(画像3)もこの年の建立です。
この年は庚申の年、新田庚申塚にも「庚申塔」(画像4)が建てられました。
また、川樋との境にある地蔵堂の近くにある「日本廻國供養塔」(画像5)もこの年に建てられています。
寛政期の米沢藩は上杉鷹山公による農村復興や領民保護など様々な改革が行われていた時期です。
天明の大飢饉(1783~1787)などの凶作で疲弊していた農村が徐々に立ち直り、寛政十一年(1799)の豊作で、少し余裕が出て来たことが石造物の建立から伺えます。
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