昭和49年には跨線橋ができ、線路を渡って向い側に行っていたのが、階段を上がって向い側ホームに、更に国道まで出る事が出来るようになり大変便利になりました。
しかし、国鉄の機構改革合理化により、乗客の少ない駅は無人化すると通達があり、無人化反対で国鉄と交渉するも叶わず、昭和50年に無人駅となってしまいました。
参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記
画像は跨線橋と北側入口です。
跨線橋は駅利用者だけでなく、通勤ルートとしても重宝されています。
昭和49年には跨線橋ができ、線路を渡って向い側に行っていたのが、階段を上がって向い側ホームに、更に国道まで出る事が出来るようになり大変便利になりました。
しかし、国鉄の機構改革合理化により、乗客の少ない駅は無人化すると通達があり、無人化反対で国鉄と交渉するも叶わず、昭和50年に無人駅となってしまいました。
参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記
画像は跨線橋と北側入口です。
跨線橋は駅利用者だけでなく、通勤ルートとしても重宝されています。
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