鉄道が敷かれると、物流は牛馬から貨車輸送が担うようになりました。引き込み線も中川駅の南側に一本、北側に二本あり、北側の引き込み線一本は列車通過の待ち合わせと荷物の積み降ろしに利用しました。
自動車の無い時代にはほとんどが貨車輸送でした。青果物に始まり、肥料木炭等が多く、終戦後は川﨑電気KK(現:㈱かわでん)へ大理石※が原石のままで送られてきました。
国道13号道路側の引き込み線からはぶどうの木箱詰め、岩部山から採石した中川石を山から運び、貨車で東京方面に送っていました。
参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記
※昭和中頃まで配電盤のパネルには、絶縁性に優れる素材として大理石が使われていました。
川﨑電気の工場にトロッコで運び、切断加工を行っていました。
画像1枚目は北側の引き込み線跡、画像2・3枚目は跨線橋からの眺めです。
引き込み線のレールが残っているのが見えます。
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