米沢藩の北条郷では宿駅の輸送を馬が担っていました。
近代の馬の様子が書かれた記事を紹介します。
各宿場には定められた馬持ちが登録されて、荷が入れば自分の仕事は休んで、馬の支度をして問屋に馳せ付け、荷をつけて次の問屋に届けなければならなかった。
馬の支度にも時間がかかる。
厩(うまや)から引き出し、鞍(くら)ずれを起さぬよう、下敷きの筵(むしろ)を着け、荷鞍を置き、尻がい、胸(むな)がいを締め、腹帯を締める。足には藁(わら)の靴を四つの足に履かす。
こうして荷物は一切荷鞍に結い付ける。
慣れない馬子は、腹帯の締加減、胸がい、尻がいの長短の加減が判らぬままに、坂の登り降り、荷の傾きなどが押さえ切れず、荷物が一方に傾いて荷物はいうまでもなく、馬まで倒れることがあった。
引用:おらだ若いとき 安部惣七著
画像1枚目は川樋上の馬浸場(うまひしゃば)、2枚目は川樋下の馬浸場の跡です。
馬洗場ともいいます。
現在、中川地区で馬を飼っている家はいなくなりました。
馬浸場は水が流れていて雪が融けるので、冬の雪捨て場に利用されています。
この記事へのコメントはこちら