馬の話

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米沢藩の北条郷では宿駅の輸送を馬が担っていました。

近代の馬の様子が書かれた記事を紹介します。

 

各宿場には定められた馬持ちが登録されて、荷が入れば自分の仕事は休んで、馬の支度をして問屋に馳せ付け、荷をつけて次の問屋に届けなければならなかった。

馬の支度にも時間がかかる。

厩(うまや)から引き出し、鞍(くら)ずれを起さぬよう、下敷きの筵(むしろ)を着け、荷鞍を置き、尻がい、胸(むな)がいを締め、腹帯を締める。足には藁(わら)の靴を四つの足に履かす。

こうして荷物は一切荷鞍に結い付ける。

慣れない馬子は、腹帯の締加減、胸がい、尻がいの長短の加減が判らぬままに、坂の登り降り、荷の傾きなどが押さえ切れず、荷物が一方に傾いて荷物はいうまでもなく、馬まで倒れることがあった。

 

引用:おらだ若いとき 安部惣七著

 

画像1枚目は川樋上の馬浸場(うまひしゃば)、2枚目は川樋下の馬浸場の跡です。

馬洗場ともいいます。

現在、中川地区で馬を飼っている家はいなくなりました。

馬浸場は水が流れていて雪が融けるので、冬の雪捨て場に利用されています。

2021.06.25:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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