米沢街道6

  • 米沢街道6
  • 米沢街道6
  • 米沢街道6

小岩沢を過ぎると前川の「御仲橋」※1を渡り川樋に入ります。

 

川樋村は「邑鑑」によると家数101軒、人数は522人※2となっています。

また、享保絵図には、「山伏」※3と出てくる寺院、諏訪神社の西の小高い山の上にある古館※4、川樋と新田の境の「どどめきの石地蔵」などが記されています。

川樋から新田に通じる本道とは別に、東の山際を通る道ができ「大洞番所」がありました。この道も鳥上坂の北で本道と合流し鳥上坂にかかることになります。

 

参考:南陽市史

 

※1 以前は中ノ橋と呼んでいました。昭和59年の橋掛け替えの際に、なぜか「朝日橋」と橋名板がつけられていました。理由は不明です。

※2 新田村が分村する前なので、新田を含む数字です。

※3 現在の荒鈑さんの寮のところにあった「ホーエンサマ」のことで。今はありません。

※4 虚空蔵山館(伊達時代の山城)

 

画像は中ノ橋付近の道路、川樋の街並み、どどめきの石地蔵です。(以前撮影した画像です。)

2021.06.02:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。