境口番所の中山から揚橋を渡り、新開萱野・金神林を抜け岩部山の山際を通ると小岩沢です。
慶長(1596~1615)の頃のものといわれる「邑鑑」には、小立沢となっており、家数22軒・人数122人となっています。
紅花を作っていたこと、漆木が少しありましたが、桑木はまだありませんでした。
(文禄三年(1594)高目録には小湯沢となっている。)
100年後の享保絵図には約40戸の人家が描かれています。
参考:山形県歴史の道調査報告書
江戸時代は元中山地区と釜渡戸地区は中山村に入っていました。
「邑鑑」によれば中山村は、家数72軒・人数434人となっています。
なお、邑鑑の写本には家数の場合、「 一 七拾弐間 」と草書で書かれています。
画像1枚目は静御前のお地蔵様、2枚目は小岩沢の街並み、3枚目は街道跡です。
小岩沢から川樋への米沢街道は山形新幹線工事の際に、中ノ倉踏切が閉鎖され、通る人もおらず藪になってしまいました。
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