東置賜郡史によると、伊達氏の時代、米沢と最上領(山形)を結ぶメインの街道は新宿(高畠町二井宿)と上山市楢下を結ぶ柏木峠を越える道路でした。
平成元年には柏木トンネルが開通しています。
その頃の米沢街道(最上街道)※は鳥上坂から松沢・高畠方面へと白竜湖の東山際を大きく迂回するルートでした。
米沢街道(最上街道)は、天正十九年(1591)蒲生氏郷が置賜の地を領有した時に新しく開削したものといわれています。
氏郷が会津城に居住し、郷安を米沢城に、郷可を中山城に居住させ、最上領に対し軍事的優位を保つ目的で、米沢と中山をつなぐ道路を新たに造ったといわれる。
一説には闇夜に、南は舟坂・北は鳥上坂・中間の窪田の3カ所にかがり火をたき、ほぼ一直線に造ったといわれています。
参考:南陽市史・東置賜郡史
※街道の名称は、目指す土地名で呼ばれていました。
米沢側から見れば最上街道、最上側から見れば米沢街道と呼ばれます。
画像1枚目は赤湯秋葉山からの風景です。
2枚目は江戸時代の鳥上坂の道、3枚目は国道13号です。
(過去に撮影した画像です)
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