川樋の市道川樋東線と県道の丁字路近くに「川樋土地改良記念碑」が建てられています。
川樋土地改良史より引用
昭和四十七年十一月九日の山新記事より
湿田の悩み消える
南陽市川樋 土地改良四年ぶり完成
南陽市川樋土地改良区(理事長 遠藤繁雄氏)の水田土地改良事業は一億八千万円を投じて、このほど四年ぶりに完成この喜びを後代に伝えるため、記念碑を建立十三日午前十時から除幕式竝竣工式典を行なう。
同地区の水田二十ヘクタールは泥炭層の湿田で耕運機すらはいる事が出来ず、おびただしく作業能率を低下させていた。しかも夏季には、干ばつの常習地帯で十アール七俵から七俵半程度。このため四十三年から大がかりな改良事業を起こし、まず水不足解消には山の沢を利用し六万五千トンの大貯水池を完成。ほ場は用排水路を分離した区画整理を行ない幅員六メートルの幹線農道を縦横に切った。
これによって湿田は乾田となり、トラクター、バインダーなど大型農業機械もどしどしはいれるようになり、作業能率は格段に向上した。また貯水池は昼夜続行二十日間にわたって放水能力があるほか、用水路には三基の反復揚水機をすえつけ、いったん下流に落ちた水を再び上流に押し上げて再利用する方法がとられている。工事費のうち六割が受益者負担で、十アール当り七千円ずつを年賦償還するがこれによって十アール二俵の増収となるほか、労力の節減が大きい。
この土地改良事業は、米の生産調整が始まった時期に行われたので、完成までには色々な出来事があったようです。
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