川樋学校碑パート2

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川樋公民館の東側、県道沿いにある明治15年(1882)に建てられた川樋学校碑です。

 

「遠望之巍然如王侯之居」

眺めが良く、(巍然)高くそびえ王侯の建物のようだと、学校を褒め称える文章や、

明治14年に行われた明治天皇東北御巡幸の様子などが、漢文で刻まれています。

 

この碑の題額※は皇族の有栖川宮熾仁(たるひと)親王殿下の御親筆です。

碑の右側に「陸軍大将兼左大臣二品大勛(勲のこと)位熾仁親王題額」と陰刻されています。

撰文は山形県一等教諭の肝月兼武氏で、書は明治の三筆と呼ばれた日下部東作氏、後の鳴鶴(めいかく)先生による大変貴重な文化財です。

 

熾仁親王殿下の御親筆による題額は、山形県内では山形市千歳山公園にある「物部守屋大連之顕彰碑」があります。米沢市松岬公園にある「従三位上杉曦山公之碑」の題字も親王の筆によるものです。

 

※題額(題字)は篆書体(てんしょたい)で書かれているため、篆額(てんがく)とも云います。

 

昭和50年代の子供達もさすがにこの碑で壁打ちはしませんでした。

 

参考:中川風土記(昭和38)、広報よねざわ

2020.09.10:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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