小岩沢字静御前にあるお堂の参道に「巳待塔」(みまちとう)が建てられています。
碑の右側に寛政三辛亥(1791)と陰刻されています。
左側に「講中」と刻まれていることから、巳待講の講中によって造られた巳待供養塔です。
巳待講は日待講の一つで、以前紹介した川樋の金華山講も巳の日に行う巳待講です。
「梨郷村史」には「春・秋二回巳の日に講中の男衆が宿に集まり、蛇の掛図をかけ、灯明・だんごを供えて拝みあげ、終って一献酌みかわしたという。」と講の様子が記載されています。
養蚕が盛んな地域では蚕を食べる鼠避けとして、巳(蛇)が信仰の対象になりました。
中川地区には巳待塔が一基、金華山塔が四基建立されており、隣の中山地区には高さ3メートルを越える大きな巳待塔が建立されています。
(画像3・4枚目 中山白髭神社の西側)
参考:梨郷村史
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