川樋地区の岩屋堂にある嶋崎明神には「片目の魚」の伝説があります。
鎌倉権五郎※1が川樋の岩屋堂※2の戦いで、敵を追い散らして陣屋があった岩屋堂に戻ったとき、どこから飛んできたか、流れ矢が右の目を射抜いてしまった。
権五郎は矢を抜こうとしたが抜けるのを見た部下は、自分が抜いてやろうとして、右手で矢をにぎり抜こうとしたが抜けない。
そこでわらじを履いた足を額にかけて、ようやく抜いたが、それを見た権五郎は、「この矢を射た奴は、わしによほどのうらみがあるのだろう」といって、右の目を傍らの池で洗うと、池は権五郎の目の傷で真っ赤になった。
それからこの池の魚はみな片目になってしまったという。
※1平安後期の武士、後三年の役で源義家に従軍し奮闘する。
※2こぶし荘付近の字名(岩谷堂という表記もある)
参考:南陽市史 民俗編
嶋崎明神の故事は、江戸時代に編纂された「米沢事跡考」や「米沢里人談」にも掲載されています。Hさんの協力をいただきながら、くずし字を解読中です。
なお、このような鎌倉権五郎と片目の魚の伝説は、東北から関東各地に伝承されています。
山形県内でも山形市本沢の蓮沼、天童市の八幡池、立川町(現庄内町)の翁池など各地に伝わっています。
嶋崎明神は明治の中頃まで九尺四方の堂宇が建っていたが、乞食が宿って火事を出し焼失したといわれています。
画像1枚目の鳥居が新しいのは、以前の鳥居は倒壊の危険性が高く、10年程前に新しくなりました。
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