赤湯から弁天橋を通って松沢地区に入る入口に、洞のある大きな岩があります。
周辺の人々は、昔からこの岩を「むじな※の御所」と呼んで大事にしてきました。
むじなの御所の西側に双式板碑と呼ばれる供養塔が彫られています。
金剛大日如来の種子である「バン」という梵字が薬研彫りされ、中央に「建武二年(1335)十月一日」と彫られています。
南朝政権は建武二年に、屋代庄の地頭に楠正成(くすのきまさしげ)を任命し、屋代庄を支配する新田兵部(にったひょうぶ)に代官をするよう命令しています。
一方で漆山の池黒地区には北朝年号の「正慶」を用いた板碑があり、南朝と北朝とが混沌とした時代であったことが見てとれます。
※アナグマ、タヌキのこと
引用:市報なんよう
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