中川地区では「デラウェア」の出荷が最盛期を迎えています。
山形県のぶどう栽培は、中川地区の川樋地区にある大洞山にぶどうの苗木が植えられたのが始まりだといわれています。
川樋でのぶどう栽培の始まりには2つの説があります。
ひとつは、金の採掘人足として大洞山の鉱山に来ていた甲州(今の山梨県)の人が南陽と甲州の土地に共通性があることに着目し、ぶどうの苗木を植え始めたという説。
もうひとつは、川樋の地が出羽三山を往来する修験者の通り道だったために、修験に関係する人たちが持ち込んだ、という説です。
明治になると、当時の山形県令三島通庸(みしまみちつね)によって殖産興業が進められ、その一環として置賜地域でぶどうが試験栽培されるようになりました。
そして、ぶどうの栽培は南陽市、高畠町など置賜地域に広がっていきました。
現在、山形県のぶどう生産量は全国3位、デラウェアは日本一の産地になりました。
昭和54年には鳥上坂に「ぶどうの碑」が建てられています。
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