釜渡戸地区の白髭神社境内には石の祠が三基あり、真中の祠に子易大明神が祀られています。
この像は彫刻が非常に密で、丁寧に彫り刻んだもので、姿態は頭巾を深々とかぶり、自ら抱いている赤児をやさしく見下ろしている。
この像と一緒に石の堂におさめた木札には次の様に書かれている。
天下泰平 導師別当 南蔵院法印
国家豊隠 神主 大坂源七
天保十三壬寅星
奉建立大宮子易両大明神※如意満 ?
村内安全 世話方 大坂今朝次 加藤友弥
産婦無難 施主 一村中
(なお、実物は旧字体で書かれています。4枚目の画像を見ての通り、現在は文字が消えてしまい、ほとんど読めません。)
天明八年(1788)の水帳をみると、吹原に常楽院屋敷というのがあるが、それから50年ほど後に吉野村下荻の南蔵院が導師となってこの像が建てられたということは、当時南蔵院の勢力が相当深く釜渡戸に延びていたこと、また常楽院と南蔵院とは深いつながりがあったものであろうと想像されるのである。
この石像の背面には
天保十三壬寅三月 川樋村石工??右門源宗?
と記され、この像の建てられた年は、天保十三年(1842)に間違いないことが確認できる。
引用:錦三郎著「釜渡戸を中心とした社会科資料」
※西置賜郡小国町にある大宮神社と子易神社が合祀された「大宮子易両神社」のこと
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