第33番観音様の西側に金毛和尚像が彫られています。
明治廿七年(1894)、北山霊山と金毛の徳を慕って、村人相計り発起して金毛禅師の像を、三十三番十一面観音を勧請する三つ岩下に刻みつけ、参詣するものをして追慕せしめてゐる。
金毛の温顔、亦慈愛そのものヽ如きを金毛の石像、又云う如く試めすが如く。
「仏僧と村人によって勧請する時の心境を忘れず、子孫亦祖父の難渋を汲み、不撓不屈(ふどうふくつ)の精神を体し拝して信念を高め以て難局処するのだ。」と
引用:北山観世音由来(昭和5年)小関仁四郎著
金毛和尚は、身丈六尺(約1.8m)あまりの豪僧でしかも酒豪であったという。
金毛和尚は書を能くしたといわれ、近郷に知られるところになり、一升酒を飲みほし、一気にその筆を走らせ、たびたび大字を書いたといわれる。
以前紹介した川樋上の馬頭観世音や新田宝山塔の碑面が金毛和尚の書によるものです。
金毛和尚は川樋の松林寺住職の後、二井宿の慶昌寺第二十世住職、荒砥の金鐘寺第二十二世住職となり安政六年(1859)示寂しました。
引用:南陽市史
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