江戸時代の米沢街道(最上街道)沿い、赤湯と芯新田の境に地蔵堂があり、中に地蔵尊二体が安置されています。
伝説では、大化二年(646年)もしくは大同二年(807年)に建立したと伝えられていますが、残念ながら地蔵様を祀る宗教文化は後世のものになります。
地蔵堂の辺りはぶどう園が開墾されるまで人家はなく、草茫々の原野が広がっていたので、夜に通ると狐に化かされ買物の肴を取られた話も残っています。
参考:ふるさと中川「鳥上坂地蔵尊」錦三郎 資料
江戸時代の米沢街道(最上街道)沿い、赤湯と芯新田の境に地蔵堂があり、中に地蔵尊二体が安置されています。
伝説では、大化二年(646年)もしくは大同二年(807年)に建立したと伝えられていますが、残念ながら地蔵様を祀る宗教文化は後世のものになります。
地蔵堂の辺りはぶどう園が開墾されるまで人家はなく、草茫々の原野が広がっていたので、夜に通ると狐に化かされ買物の肴を取られた話も残っています。
参考:ふるさと中川「鳥上坂地蔵尊」錦三郎 資料
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