コロナの影響で今年は市民運動会は残念ながら中止となってしまいましたが、9月12日(土)、中川小学校の運動会が開催されます。
コロナに負けるな!!
今日は白組がグラウンドで応援練習をしています。
赤湯から弁天橋を通って松沢地区に入る入口に、洞のある大きな岩があります。
周辺の人々は、昔からこの岩を「むじな※の御所」と呼んで大事にしてきました。
むじなの御所の西側に双式板碑と呼ばれる供養塔が彫られています。
金剛大日如来の種子である「バン」という梵字が薬研彫りされ、中央に「建武二年(1335)十月一日」と彫られています。
南朝政権は建武二年に、屋代庄の地頭に楠正成(くすのきまさしげ)を任命し、屋代庄を支配する新田兵部(にったひょうぶ)に代官をするよう命令しています。
一方で漆山の池黒地区には北朝年号の「正慶」を用いた板碑があり、南朝と北朝とが混沌とした時代であったことが見てとれます。
※アナグマ、タヌキのこと
引用:市報なんよう
現地視察の続きです。
赤湯の松沢地区にある松沢八幡神社の参道入口に大きな石碑が建っています。
これが県指定有形文化財の元弘三年(1333・南朝年号)の阿弥陀三尊板碑です。
額部下の碑面には梵字(ぼんじ)の種子(しゅじ)※1でキリーク(阿弥陀)、サ(観音)、サク(勢至)の阿弥陀三尊仏を薬研(やげん)彫りして、その下部中央に「元弘三年大歳癸酉十月廿日施主敬白」と刻んでいます。
元弘三年は後醍醐天皇派の武士が鎌倉幕府を亡ぼした年です。南朝年号を使用していることから、松沢地域は南朝方の勢力下にあったことが分かります。
※1梵字は、古代インドのサンスクリット語で、種子は如来や菩薩を像のかわりに刻したもの
※2断面がV字になるように彫ること
引用:市報なんよう