年取り料理に欠かせないのが「からかい煮」です。
「からかい」はエイの干物で、鮮魚が手に入りにくい内陸地方では「棒鱈煮」と共に
ハレの日の食材として食べられてきました。
数年前までは水で戻して作っていましたが、何日も鍋を占領するのでパック詰めを購入しました。
今年は残念ながら1度も出番のなかった臼と杵です。
正月用の餅を暮の28日につく家も多いことでしょう。
昔の餅つきの様子を紹介します。
明治、大正、昭和の初めごろまでは、餅は農家では最上の御馳走であったし、回数も多くついた。
餅をつく朝は、殊に正月の餅の様に、三臼も四臼もつく時は午前三時頃起き、釜に火を焚きつけ、大きな釜の上にセイロという箱型の蒸し器に、もち米を入れて上げる。
やがて、下の釜鍋の湯が沸騰すると、蒸気がセイロの中のもち米を具合よく蒸す。
寒中でも、雪降りでも餅がふけると、一刻の猶予はない。その頃は、どこの農家にも男は大勢いたから三、四人が臼を取り巻く。
掛声が掛かると、交互に杵を上下しつき始める。この時の杵は「手っ杵」というもので、堅木の棒状のもの。振り上げてつく杵は「打ち杵」といって、つき手が一人の時に用いた。
出来上った餅は、先ず第一に釜の神様と、水神様に上げて拝む。感謝の心のあらわれであろう。
「餅つき唄」
押せや持ちゃげろ 天竺までも
天の河原のホンニ底までも
染屋の後で狐鳴く なんと鳴く
浅黄が薄いとて 紺と鳴く
引用:南陽市史編集資料第2号「おらだ若いとき」安部惣七 著