荷車の車輪の画像です。
荷車についての当時の様子を、南陽市史編集資料第1号「おらだ若いとき」の記事を紹介します。
置賜地方の農家に、運搬用具としての荷車が普及したのは、確か日露戦争後の事で、1台お金で5円位だったと思う。
荷車製造所から買って来ると、警察署に牽いて行き「小車 山形県」という焼印を押して貰い、登録※して始めて使用できた。
当時ある山中の小集落に荷車を牽いて行ったところ、怖い物、珍しい物が来たと、子供達は道から退出し、大人だけが家毎に外に出て小車を見ていたなどの話もあった程だ。
※昔、自転車や荷車・リヤカーには地方税がかかりました。現在の軽自動車と同じ扱いです。(昭和33年4月1日廃止)
その後、大正時代に入るとリヤカーが普及しました。私が中学生の時、学校行事で廃品回収をした時も運搬用具として活躍していました。